
集まりの目的を見失うな
私たちの毎日は、大小さまざまな「集まり」でできています。
家族や友人との食事会、地域のイベント、そして会社の会議や飲み会など、数え上げればきりがありません。
でも、胸に手を当てて考えてみてください。
そうした集まりの最中に、時計をチラチラ見ては、「早く終わらないかな」なんて思ってしまった経験はありませんか?
「参加しても特に何も変わらないし、新しい関係が生まれるわけでもない…」と感じてしまう。
実は、そう感じているのは、あなただけではありません。
ある調査では、多くの会社の社員が「仕事の邪魔になるもの」の第一位に「無駄な会議」を挙げています。
これは大企業だけの話ではないでしょう。むしろ、社長との距離が近い中小企業だからこそ、「社長の話を聞くだけの定例会議」や「毎年同じ居酒屋でやる忘年会」に、どこか虚しさを感じている社員がいるかもしれません。
面白いことに、私たちは「集まりは退屈だ」と不満を感じているのに、なぜかいつも同じやり方を繰り返してしまいます。
それは、集まりの「目的」を見失い、ただ「準備」をこなすことに一生懸命になってしまうからです。
例えば、社内の懇親会を開くとしましょう。
すると、いつの間にか「どこのお店を予約するか?」「料理のコースはどうするか?」「日程調整はどうするか?」といった、「モノの手配」ばかりに頭を悩ませていませんか?
これは、素晴らしい舞台装置や豪華な衣装ばかりにこだわって、肝心の「脚本」と「役者の気持ち」を忘れてしまっている舞台のようなものです。
いくら見た目が立派でも、そこに心が通っていなければ、観客(参加者)の心は動きません。
本当に大切なのは、「この会を通じて、社員みんなにどうなってもらいたいか?」「どうすれば、明日からの仕事がもっと楽しくなるような関係を築けるか?」といった、「人の心とどう向き合うか」という視点のはずです。
しかし、私たちはつい、目に見えて手配しやすい「モノ」に意識が向いてしまいます。
なぜなら、その方が楽だからです。
でも、それではいつまで経っても「退屈な集まり」から抜け出すことはできません。
参加した人が「今日の会議は意味があったな」「この会社で働く仲間と話せてよかった」と心から感じられる。
そんな血の通った時間を作るために本当に必要なのは、立派な会議室や高級な料理といった「モノ」ではないのです。