顧客の個別の悩みに寄り添う経営
はじめに
あなたのお店やサービスを選んでくれているお客様は、いったい何を求めているのでしょうか。
「品質の良い商品」「リーズナブルな価格」「丁寧な接客」—もちろん、それらも大切です。
しかし、もう一歩踏み込んで考えてみると、お客様が本当に求めているのは、それよりずっと個人的なことかもしれません。
あるベテランの整体師が、長年の施術経験からこんな言葉を語っています。
「お客様が本当に知りたいのは、『私のこの右肩のこのコリは、なぜいつもここに出るのか』ということです。肩こりの一般的な原因ではなく、『この、私の、体の話』を聞きたいのです」
「お客様一人ひとり、骨格も姿勢の癖も生活習慣も違います。『あなたの場合、デスクワークのときにこうやって首を傾ける癖があるから、右側だけにコリが出やすいんですよ』とお伝えすると、パッと表情が明るくなるんです。『やっとわかってもらえた』という顔をされます。だから私は、施術よりも先に、その方の体のことをとことん知ることに時間をかけるようにしたのです」
この言葉には、小さなビジネスを経営するうえで非常に重要なヒントが込められています。
今回は、この「個別の悩みに答える力」が、なぜお客様との長期的な関係につながるのかを、具体的な事例とともに考えていきます。
背景:「一般論」では、もうお客様の心は動かない
インターネットが普及した現代、情報はあふれかえっています。
「肩こりの原因と対策」「腰痛を防ぐストレッチ」といった一般的な知識は、スマートフォンで検索すれば5分もあれば手に入ります。
そのような時代に、お客様が専門家やお店に期待することは何でしょうか。
それは、「一般的な答え」ではなく、「私への答え」です。
人は誰でも、自分のことを特別な存在として理解してほしいという気持ちを持っています。
医師に「最近、こういう症状があって…」と話したとき、教科書的な説明だけ返ってきたら物足りなさを感じますよね。
でも、「あなたの場合は、この時期にこういう生活習慣があるから、こうなりやすいんですよ」と言われたら、「この先生はわかってくれている」と感じるはずです。
これは医療に限った話ではありません。
飲食店でも、美容室でも、会計事務所でも、町の電気屋さんでも—あらゆる業種で同じことが起きています。
大手チェーンや大企業は、仕組みの効率化を優先するため、どうしても「標準的な対応」に寄りがちです。
一方、従業員10名前後の中小企業や個人事業主には、お客様一人ひとりに寄り添える「人間的な距離感」という、大企業にはない強みがあります。
この強みを意識的に活かすことが、選ばれ続けるお店・会社になるための鍵です。
事例:街の保険代理店が「家族ぐるみで頼られる存在」になった理由
ある住宅街に、スタッフ4名で運営している小さな保険代理店があります。
近くには銀行の窓口や大手保険会社のショールームもあり、知名度や商品ラインナップでは比べ物になりません。
それでもこの代理店には、10年・20年と付き合い続ける顧客が多く、紹介で新しいお客様が途切れることがありません。
代理店を切り盛りする店主はこう言います。
「保険って、みんな『なんとなく入っている』状態の方がほとんどなんです。だから私たちは、保険を売ることより先に、その方の生活をちゃんと知ることから始めています」
たとえば、初めて相談に来た30代のご夫婦には、こんなことを丁寧に聞いていきます。
「お子さんは今何歳ですか?住宅ローンはいつまでですか?奥様はパートをされていますか?ご両親の介護が将来必要になりそうですか?」
商品の説明は、その後です。
「あなたご家族の場合、今一番リスクが高いのはここです。だから、この部分だけはしっかり備えておきましょう」と、その家庭だけに当てはまる言葉で伝えます。
そして数年後、子どもが中学生になったタイミングで連絡が来ます。「そろそろ学費の準備を考える時期ですね。前回お話していた学資保険の件、一度見直しませんか?」—契約時の会話を覚えていて、お客様のライフステージに合わせて先回りして動くのです。
ある50代の男性顧客は、こんな話をしてくれました。
「大手の保険会社に電話すると、担当者が変わっていることが多くて、また一から説明しなきゃいけない。でも、ここは私の家族構成も、ローンの残額も、将来の不安も全部知ってくれている。まるでかかりつけのお医者さんみたいで、安心して任せられるんです」
この代理店がやっていることは、特別な金融知識でも、豪華なオフィスでもありません。
「この人の、この家族の、この不安に答える」という姿勢を、出会いから何年経っても持ち続けているだけです。
しかし、その「だけ」こそが、大手には簡単に真似できない、本物の強みになっています。
では、具体的にどうすればいいのか
「個別の悩みに答えよう」と言葉では簡単に言えますが、実際にはどうすれば良いのでしょうか。
いくつかのポイントを整理してみます。
「なぜ」を一つ深く聞く習慣をつくる
お客様が「〇〇が欲しい」と言ってきたとき、すぐにその要望に応えるのではなく、「それはどのような場面でお使いになりますか?」と一歩踏み込んで聞いてみましょう。
「節税したい」というお客様に「何が一番不安ですか?」と聞いたら、「実は将来の資金繰りが心配で」と本音が出てくることがあります。
そうなれば、単なる節税提案より、キャッシュフローを意識した経営全体の相談に発展できます。
お客様の「本当の悩み」に近づけるほど、提案の価値は高まります。
会話の記録を残す
中小企業や個人事業では、「顔を覚える」「話を覚える」という属人的な対応になりがちです。
それ自体は素晴らしいことですが、スタッフが変わったときや、久しぶりにお客様が来店したときのために、簡単なメモを残しておく習慣をつけましょう。
「お子さんが今年受験」「長年、腰痛に悩んでいる」「年末に向けて資金繰りが心配」—こうした個人的な情報こそ、次の会話のきっかけになります。
「あなただから言える」情報を届ける
一般的なニュースレターやDMではなく、「この方には、このタイミングで、この情報を届ける」という個別性を意識してみてください。
例えば、税理士事務所であれば、「昨年、相続について少し心配とおっしゃっていたお客様へ」という切り口でアプローチするのと、全員に一斉送信するのとでは、受け取る側の印象がまったく違います。
「私のことを覚えていてくれた」という体験は、それだけでお客様との信頼関係を一段深めてくれます。

まとめ:「この私」に答えられることが、小さなビジネスの最大の武器
冒頭の整体師のエピソードに戻りましょう。
「この、私の、体の話」—このひとことに、すべてが凝縮されています。
お客様は商品やサービスそのものを買っているのではなく、「自分の悩みが解決される体験」を買っています。
そして、その体験の中でも特に心に残るのは、「私のことをわかってくれている」という感覚です。
大手企業には、価格競争でも、広告費でも、店舗数でも、なかなか勝てません。
しかし、「この人のことをちゃんと知っている」「この人の悩みを一緒に考えてきた」という関係性の深さは、規模が小さいからこそ築けるものです。
仕組みを整えながら、お客様一人ひとりとの会話を大切にしていく。
その積み重ねが、口コミや紹介につながり、価格ではなく「あなただから」と選ばれるビジネスをつくります。
「もっと私を知ってほしい」—お客様のそのメッセージに、どれだけ丁寧に答えられるか。
それが、これからの中小企業・個人事業の一番の競争力になっていくはずです。
