利益も、チームも、整える。  浜松市の税理士 小林徹が、次の一手まで一緒に考えます。

なぜ人は「得すること」より「損すること」に敏感なのか?

なぜ人は「得すること」より「損すること」に敏感なのか?

損失回避の心理学と経営

はじめに:10万円もらう喜びと、5万円を失う悲しみ

「今月、臨時ボーナスで10万円もらえた」と聞いたら、嬉しいですよね。
では、「今月、うっかりミスで5万円の損失が出た」と聞いたら、どう感じるでしょうか。

金額だけを見れば、10万円のプラスと5万円のマイナスですから、差し引き5万円のプラスです。
冷静に考えれば喜ぶべき状況のはずです。
ところが、多くの人はこの状況を「なんだかモヤモヤする」「素直に喜べない」と感じるのではないでしょうか。

これは決して気のせいではありません。
人間の心には、「得をすること」よりも「損をすること」に対して、約2倍敏感に反応するという特性があるのです。

行動経済学者のリチャード・セイラー氏は、この心理を「損失回避」と呼びました。
セイラー氏によれば、「損失から受ける苦痛は、同じ規模の利益から得られる喜びの2倍以上に感じられる」といいます。

つまり、20万円をもらったときの喜びと、10万円を失ったときの苦痛は、私たちの心の中ではだいたい同じくらいの重さを持っているということです。

この「損失回避」という心理は、経営のさまざまな場面で顔を出します。
今回は、この心理を理解することで、経営判断やお客様対応に活かすヒントをお伝えします。

なぜ人は損失を嫌うようになったのか?

この「損失回避」の心理は、私たちの祖先が厳しい自然環境を生き延びるなかで身についたものだと考えられています。

たとえば、野生の世界で「利益」といえば、食べ物を手に入れることでしょう。
しかし、冷蔵庫もお金もない時代、必要以上に食べ物を集めても保存できません。
むしろ、欲張って食べ物を探し回ると、肉食動物に見つかって命を落とす危険がありました。

一方、「損失」といえば、怪我をすること、食べ物を失うこと、天敵に襲われることです。
一定以上の損失は、そのまま死につながります。

つまり、「もっと得しよう」と欲張るよりも、「絶対に損しないようにしよう」と慎重に行動する個体のほうが、生き残りやすかったのです。
何万年もの進化の過程で、この「損失を強く嫌う」という心理が、私たちのDNAに刻み込まれたというわけです。

現代社会では、10万円を失っても命に関わることはほとんどありません。
しかし、私たちの脳は今でも、損失に対して「命の危機だ!」と言わんばかりに強く反応してしまうのです。

【事例1】値上げを伝えるとき、なぜお客様は怒るのか

この「損失回避」の心理が、経営の現場でどのように現れるか、身近な例で考えてみましょう。

ある飲食店の話です。
原材料費の高騰を受けて、定番メニューの価格を100円値上げすることにしました。
店主は「100円くらいなら理解してもらえるだろう」と考えていました。

ところが、常連のお客様から予想以上に厳しい反応がありました。
「ここ最近、値段が上がって残念」「前の値段が良かったのに」という声が複数寄せられたのです。

一方、同じ店で新メニューを1,200円で出したときには、特に文句は出ませんでした。
既存メニューの100円値上げと、新メニューの1,200円。
金額だけを見れば、新メニューのほうがはるかに高いはずです。
しかし、お客様の反応は逆でした。

これはまさに「損失回避」の心理が働いた典型例です。

既存メニューの値上げは、お客様にとって「今まで手に入れていたものを失う」感覚を生みます。
「同じ商品なのに、以前より多くのお金を払わなければならない」という損失です。

一方、新メニューはそもそも基準がありません。
「1,200円を払って新しいものを得る」という、純粋な獲得の話になります。
損失の感覚が生まれにくいのです。

同じ「お金を払う」という行為でも、お客様の心の中では、まったく違う受け止め方をされているということです。

この心理を理解しておくと、値上げを伝えるときの工夫が見えてきます。
たとえば、単純に「値上げします」と伝えるのではなく、新しいサービスや特典を追加して「リニューアル」として打ち出す方法があります。
「失う」という感覚を薄め、「新しいものを得る」という感覚に変えることで、お客様の抵抗感を和らげることができるのです。

【事例2】「やめられない」のは、損失回避のせいかもしれない

「損失回避」の心理は、経営者自身の意思決定にも大きな影響を与えます。

たとえば、こんな経験はないでしょうか。

「この仕事、正直あまり利益が出ていない。むしろ手間ばかりかかって赤字かもしれない。でも、長年続けてきたし、やめるのはもったいない気がする……」

冷静に数字だけを見れば、「やめたほうがいい」と分かっている。
それなのに、なかなか決断できない。
これは決して意志が弱いわけではありません。「損失回避」の心理が働いているのです。

その仕事をやめるということは、これまで築いてきた関係、費やしてきた時間、身につけたノウハウを「失う」ことを意味します。
たとえ将来的にはプラスになると分かっていても、目の前の「失うもの」に心が強く反応してしまうのです。

ある製造業の会社では、創業時から続けていた製品ラインがありました。
売上は年々減少し、利益率も低下。
新しい設備投資も必要な時期に来ていました。
数字だけを見れば、撤退して他の事業にリソースを集中させるべき状況です。

しかし、社長はなかなか決断できませんでした。
「創業者である父が始めた事業だから」「この製品を楽しみにしてくれているお客様がいるから」「撤退したら、これまでの苦労が無駄になる気がする」—さまざまな理由が頭に浮かびます。

最終的にこの会社は、外部の専門家の助言もあり、製品ラインを整理する決断をしました。
結果として、残した事業に集中できるようになり、業績は回復しました。

後から振り返れば「もっと早く決断すればよかった」という話ですが、渦中にいるときは「失うもの」ばかりが大きく見えてしまうものです。

経営に活かす3つのポイント

ここまでの内容を、実際の経営に活かすポイントとして整理してみましょう。

1. お客様への提案は「損失を避ける」切り口で

「このサービスを導入すると、月に5万円得します」という提案と、「このサービスを導入しないと、月に5万円損し続けます」という提案。
金額は同じでも、後者のほうがお客様の心に響きやすいのです。
ただし、脅すような言い方は逆効果ですので、あくまでも事実を伝える形で「損失を避ける」メリットを示すのが効果的です。

2. 一度与えたものを取り上げるときは慎重に

福利厚生、手当、サービスなど、一度始めたものを廃止するときは、想像以上の反発が起こる可能性があります。
新しく始めるときの喜びよりも、なくなるときの悲しみのほうが大きいからです。
廃止を検討するときは、代替となる別のメリットを用意するなど、「失う」感覚を和らげる工夫が必要です。

3. 「ゼロベース」で考える習慣を持つ

採算の合わない仕事や事業から撤退できないのは、「損失回避」の心理が原因かもしれません。
定期的に「この仕事を今からゼロから始めるとしたら、本当にやるだろうか?」と自問してみましょう。
過去の投資や苦労を一度脇に置いて、今の状況だけで判断する視点を持つことで、より良い経営判断ができるようになります。

おわりに:心理を知ることは、思いやりにつながる

「損失回避」という心理は、私たちが生き延びるために進化の過程で身につけた、いわば「生存本能」のひとつです。
だからこそ、理屈ではわかっていても、感情的に損失を嫌ってしまうのは、ある意味で自然なことなのです。

この心理を知っておくと、お客様や従業員の反応に対して「なぜこんなに反発するのだろう?」と戸惑うことが少なくなります。
相手の立場に立って、「この人は今、何かを失うように感じているのかもしれない」と想像することができるからです。

そして、この心理は自分自身にも働いています。
「なぜかやめられない」「なぜか踏み切れない」と感じるとき、それは損失回避の心理が邪魔をしているのかもしれません。

経営の知恵は、人の心を理解することから始まります。
「損失回避」という視点を持つことで、お客様に対しても、自分自身に対しても、より良い判断ができるようになるのではないでしょうか。

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