その集まり、目的はありますか?―小さな会社が変わる第一歩
なぜ、人はなんとなく集まってしまうのか
忘年会、月に一度の全体会議、取引先を招いての懇親会。
こうした集まりを毎年、あるいは毎月、当たり前のように開いている経営者の方は多いのではないでしょうか。
「去年もやったから」「恒例行事だから」。そう思って準備を進めているうちに、日程を決め、会場を押さえ、案内を出す。
そこまでは順調に進むのに、なぜかその日が近づくにつれて、心のどこかに小さなひっかかりを感じる。
そんな経験はありませんか。
その正体は、多くの場合「この会は、そもそも何のために開くのか」という問いに、はっきりと答えられていないことにあります。
目的がぼんやりしたまま人を集めてしまうのは、決して準備不足だからではありません。
むしろ、経営者という立場にいる方ほど、次の二つの気持ちのあいだで揺れてしまうからではないでしょうか。
一つは、「せっかく集まるのだから、あれもこれも実現したい」という欲張りな気持ちです。
社員の労をねぎらいたい、取引先との関係も深めたい、来年に向けての方針も伝えたい、後継者のことも紹介したい。
どれも大切なことなので、一度の場に詰め込みたくなるのは、経営者として自然なことだと思います。
もう一つは、「自分の考えを、参加してくれる人たちに押し付けていいのだろうか」という遠慮の気持ちです。
目的をはっきり掲げることは、なんだか大げさで、出しゃばっているように感じられるのかもしれません。
まして日頃から社員や取引先を気遣う立場にある経営者ほど、自分の思いを前面に出すことにためらいを覚えるものです。
この二つの気持ちのあいだで宙ぶらりんになった結果、目的のはっきりしない、なんとなくの集まりが出来上がってしまう。
そうした構造が、多くの会社の恒例行事の裏側にはあるように思います。
さらに近年は、働き方の変化も、この問題を大きくしています。
リモートワークが増え、社員同士が顔を合わせる機会そのものが貴重になってきました。
だからこそ、せっかくの集まりを、これまで以上に意味のあるものにしたいと感じている経営者の方も増えているのではないでしょうか。
ある町工場の社長が経験した、忘年会の悩み
ここで、ある経営者の話をご紹介したいと思います。
仮に田中さんとしておきましょう。
田中さんは、従業員十二名ほどの金属加工会社を営む二代目の社長です。
毎年十二月には、社員と、長年お付き合いのある数社の取引先を招いて忘年会を開くのが恒例になっていました。
ところがその年、田中さんは忘年会の準備をしながら、なんとなく気が重いことに気づきました。
原材料費の値上がりが続き、社員にも無理をお願いする場面が多かった一年でした。
値上げ交渉に苦労し、残業も増え、社員の表情にも疲れが見えるようになっていました。
「今年もいつも通りでいいのだろうか」。
そう感じた田中さんは、案内状を出す前に、一度立ち止まって考えてみることにしました。
「そもそも、この忘年会は何のために開いているのだろう」。
そう自分に問いかけてみると、最初に浮かんだのは「まあ、労をねぎらうためだろうか」という、どこか漠然とした答えでした。
悪くはありませんが、それだけでは、なぜ今年もその形でなければならないのかが、あまり見えてきません。
さらに考えを掘り下げていくうちに、田中さんの中には、いくつもの思いが折り重なっていることに気づきました。
「厳しい一年を頑張ってくれた社員に、来年もこのメンバーで頑張りたいと思ってほしい」
「長年お世話になっている取引先との関係を、もっと深めたい」
「そろそろ後継ぎとして表に立ち始めた息子を、取引先に紹介したい」。
どれも田中さんにとって大切な願いです。
けれども、これらをすべて一つの忘年会で満たそうとすると、どこかで無理が生じます。
社員をねぎらう場にしたいのであれば、外部の取引先が同席することで、社員はどうしても言葉を選び、気を遣ってしまうかもしれません。
反対に、取引先との関係を深める場にしたいのであれば、社内向けの少ししんみりした話は、その場にそぐわないでしょう。
あれもこれもと欲張った結果、結局はどの願いも中途半端になってしまう。
それが、田中さんが感じていた「気の重さ」の正体だったのかもしれません。
目的は、欲張らずに一つに絞ってみる
田中さんのように、大切な願いがいくつもあるとき、無理に一つの場ですべてを叶えようとすると、結局どれも中途半端になってしまいます。
まずは、それぞれの願いを一度分けて考えてみることから始めてみるのも一つです。
田中さんは、こう自分に問いかけてみました。
「この会が終わったとき、参加してくれた方に、どんな気持ちで帰ってほしいだろうか」。
しばらく考えたのち、田中さんの中にはっきりとした答えが浮かびました。
「今年は本当に大変だったけれど、このメンバーでよかった、来年も頑張ろうと、社員に思ってもらいたい」。
この一言で、その年の忘年会の目的がはっきりしました。
社外の取引先への感謝は、春先に別の場を設けて丁寧に伝えることにし、十二月の忘年会は、社員だけで、今年一年を振り返る場に絞ることにしたのです。
目的を一つに絞ったことで、誰を呼ぶか、どんな話をするかが、驚くほど自然に決まっていきました。
このように目的を絞り込むときには、次のような問いを自分に投げかけてみるとよいのではないでしょうか。
「この会が終わったとき、参加者にどんな気持ちで帰ってほしいか」
「もし一つしか願いを叶えられないとしたら、どれを選ぶか」
「その願いは、今このメンバー、この形でしか叶えられないものか」。
こうした問いを通して、頭の中に漠然と浮かんでいたいくつもの願いのうち、今回はどれを主役にするのかが、少しずつ見えてくるはずです。
目的を掲げるのは、わがままではない
ここで、多くの経営者の方が感じるであろう遠慮についても触れておきたいと思います。
「集まりに目的を掲げるなんて、大げさすぎるのではないか」「自分の考えを人に押し付けているように思われないだろうか」。
そう感じて、つい控えめになってしまう方は少なくありません。
けれども、実際には逆のことが起きることのほうが多いように思います。
目的がはっきりしないまま呼ばれた集まりほど、参加する側は「今日はどういう気持ちで過ごせばいいのだろう」と戸惑ってしまうものです。
反対に、「今日はこういう思いで集まっていただきました」と一言添えられるだけで、参加者は安心して、その場に身を委ねることができます。
たとえるなら、船旅に出かける前に、船長から行き先を告げられるようなものです。
多少天候で予定が変わることがあっても、行き先を知らされているだけで、乗客は安心して旅を楽しむことができます。
反対に、行き先を告げられないまま船に乗せられたら、乗客はどこか落ち着かない気持ちのまま過ごすことになるでしょう。
目的をはっきり伝えることは、参加してくれる方への押し付けではなく、むしろ敬意の表れだと考えられます。
社員や取引先といった、日頃から付き合いのある相手だからこそ、なんとなくの空気で乗り切れてしまう場面は少なくありません。
しかし、なんとなくで済ませてしまうことが積み重なると、集まること自体が形骸化し、しだいに「出席しなければならない義務」に変わっていく。
そうならないためにも、目的を言葉にして伝えるひと手間は、決して大げさなことではないと考えられます。
目的が決まると、当日の中身まで自然に決まっていく
目的が定まった田中さんの忘年会は、それまでとは少し違うものになりました。
席順は、ベテラン社員と若手社員が自然に混ざるように工夫し、乾杯のあとには、田中さんから一つだけ問いかけを投げてみました。
「今年、一番心に残った仕事の話を聞かせてください」。
最初は照れくさそうにしていた社員たちも、一人が話し始めると、次々と自分の経験を語り出しました。
納期に間に合わず徹夜で対応したこと、難しい取引先との交渉をやり遂げたこと、後輩に仕事を教えて成長を感じたこと。
普段の業務ではなかなか語られない、それぞれの一年が言葉になっていきました。
中には、思わず目を潤ませる社員もいたそうです。
田中さんはあとになって、「毎年同じように開いていたはずの忘年会が、今年はまったく違う会になった」と話してくれました。
特別な予算をかけたわけでも、豪華な演出をしたわけでもありません。
変わったのは、ただ一つ、目的をはっきりさせたことだけでした。
なお、社外の取引先への感謝を伝える会は、あらためて春先に開かれました。
こちらの目的は「これまでの十年への感謝を伝えつつ、次の十年をどう一緒に歩んでいくかを話し合う場にする」と定められ、忘年会とはまったく違う顔ぶれ、まったく違う進行で行われたそうです。
一つの会にすべてを詰め込まなかったからこそ、それぞれの会が、それぞれの相手にとって意味のあるものになったのだと考えられます。
目的は、真面目でなくてもいい
ここまで少ししんみりした話が続きましたが、目的というものは、必ずしも重々しいものである必要はありません。
むしろ、肩の力が抜けるような、ちょっとした目的でもかまわないのです。
たとえば、ある商店街の飲食店主たちが月に一度集まる会があります。
表向きの名目は「情報交換会」ですが、実際に掲げられている目的は「新しく仕込んだスープを、誰よりも先に味見する会」なのだそうです。
真面目な議題も話しつつ、最後は必ず新作の試食で盛り上がる。
この、ちょっとふざけたくらいの目的があることで、忙しい店主たちも「今月も顔を出そう」という気持ちになれるのだと言います。
別の例では、ある地域の経営者仲間が年に一度、早朝に集まって近所の掃除をしてから朝食をとる会を続けています。
掲げられている目的はただ一つ、「一年に一度、汗を流してから飯を食う」。
それだけです。それでも、この単純な目的があるおかげで、参加者は毎年楽しみにその日を空けているそうです。
目的は、社会的に意義のあるものでなくても、哲学的である必要もありません。
参加する人たちが「それなら行ってみたい」と思えるような、はっきりとした理由が一つあれば、それで十分なのではないでしょうか。
むしろ、肩の力を抜いた目的のほうが、日頃忙しい経営者や社員にとっては、参加しやすいものになるのかもしれません。
忘年会だけではなく、日々の会議にも同じことが言える
ここまで忘年会を例にお話ししてきましたが、目的のあいまいさは、もっと日常的な集まりにも潜んでいます。
たとえば、毎週決まった時間に開かれる定例会議です。
「先週から続けているから」という理由だけで続いている会議は、少なくないのではないでしょうか。
進捗を報告し合うだけの時間になってしまい、参加している社員が「この時間は何のためにあるのだろう」と感じているとしたら、それはやはり、目的がぼんやりしたまま続けられている集まりだと言えます。
数字の報告だけが目的であれば、資料を共有して各自が確認すれば済むかもしれません。
もし本当に集まって話す必要があるのなら、その理由は「報告」以外のところにあるはずです。
「困っていることを、その場で一緒に考える」「来週に向けて、部署をまたいだ協力を頼み合う」。
そうした目的が一つはっきりするだけで、同じ会議室に集まる意味が、参加者にも伝わりやすくなるのではないでしょうか。
会議も、忘年会と同じ「集まり」の一つです。
何のために人を集めるのかを、司会を務める経営者自身が一度立ち止まって考えてみる。
その積み重ねが、社内の雰囲気を少しずつ変えていくのかもしれません。

まとめ―次の集まりを、少しだけ変えてみる
会社の忘年会、月次の会議、取引先との懇親の場。
こうした集まりを企画するとき、つい会場や日程、予算といった段取りから考え始めてしまいがちです。
けれども、その前に一度、「この集まりは、何のために開くのか」「終わったとき、参加者にどんな気持ちで帰ってほしいのか」を自分に問いかけてみることには、大きな意味があるように思います。
あれもこれもと欲張らず、一つの願いに絞ってみる。
目的を掲げることをためらわず、参加してくれる方への敬意として、はっきり伝えてみる。
それだけで、いつもの集まりが、少し違ったものに変わっていくのではないでしょうか。
次に何かの集まりを企画する機会があれば、まずは一つの問いを自分に投げかけてみることから始めてみるのも一つです。
「今回は、何のために人を集めるのだろうか」。
その答えが見えてきたとき、当日の中身も、自然と形になっていくはずです。
田中さんの忘年会がそうであったように、変わるのは予算でも演出でもなく、経営者自身の問いかけ方なのかもしれません。
