経営者の判断力を磨く「ひと手間」の価値
忙しいほど、立ち止まる時間が必要になる
経営者は、毎日たくさんの判断をしています。
売上をどう伸ばすか。
どのスタッフに何を任せるか。
お客さまのクレームにどう対応するか。
来月の資金繰りをどうするか。
こうした判断が、朝から晩まで続きます。
私は税理士として、長年にわたり中小企業の経営者のみなさんとお話ししてきました。
その中で気づいたことがあります。
業績が安定している経営者ほど、やみくもに動き続けているのではなく、自分の頭と心を整える時間を持っている、ということです。
逆に、判断が後手に回ったり、スタッフとのすれ違いが続いたりしているときは、「とにかく動く」だけになっていることが多い。
忙しいときこそ、立ち止まることが大切です。
でも、立ち止まる時間なんてない。
そのジレンマを感じている経営者は、たくさんいらっしゃいます。
今回お伝えしたいのは、その答えの一つになるかもしれない、「ひと手間をかける」という考え方です。
効率化の波の中で、何かを失っていないか
ここ数年で、仕事の道具はずいぶん便利になりました。
会計ソフトが自動で帳簿をつけてくれる。
チャットツールで、離れたスタッフとすぐ連絡が取れる。
これらはとても助かります。
経営者の仕事を軽くしてくれる面は、確かにあります。
でも一方で、便利さを追いかけるだけになると、何か大事なものを見落とすことがあります。
たとえば、数字だけ見て判断してしまうこと。
メッセージだけで済ませてしまい、直接話す機会が減ること。
目の前のスタッフの表情や変化に気づけなくなること。
これは、経営者だけの問題ではありません。
でも、経営者にとっては特に大きな影響があります。
なぜなら、経営者の判断一つが、会社全体に伝わっていくからです。
「ひと手間」とは何か—経営者の言葉で考える
「ひと手間をかける」というのは、ひとことで言うと、「すぐ答えを出すのではなく、少し丁寧に向き合う時間を持つ」ということです。
料理で考えるとわかりやすいかもしれません。
お湯を沸かして麺を入れるだけのインスタントラーメンも、おいしいです。
でも、スープの味を確かめながら少しずつ調整したラーメンは、また違う味わいがあります。
経営も似ているところがあります。
すぐ答えを出すことが得意な経営者は多いです。
決断の速さは武器になります。
でも、ときには少し立ち止まって、
「これは本当にそうなのか」
「相手はどう感じているのか」
「自分は今、何を大事にしているのか」
と問いかける時間を持つことで、判断の質が変わってきます。
これが、経営における「ひと手間」です。
なぜ、ひと手間が経営に効くのか
人間の頭は、常に忙しくしていると、目の前のことへの感度が落ちていきます。
スタッフが何かを言いたそうにしているのに気づかない。
お客さまの言葉の裏にある本音を聞き流してしまう。
自分自身が疲れているのに、それを認められない。
こうしたことが積み重なると、いつの間にか「気がついたら手遅れだった」という状況になりがちです。
一方で、日常の中にほんの少し「今ここに意識を向ける時間」を作ると、こうした感度が少しずつ戻ってきます。
目の前の変化に気づく。
相手の言葉をちゃんと受け取る。
自分の直感を信じられる。
経営者の判断力とは、データや知識だけからくるものではありません。
現場の空気を感じ取る力、人の気持ちを読む力も含まれます。
その力は、立ち止まる時間の中で育つのではないかと、私は感じています。
事例:「話しかける前に一息」で変わった職場の空気
静岡県内で、飲食業を営む経営者のAさん(40代・従業員8名)の話をご紹介します。
Aさんは仕事が速く、判断力のある方でした。
ただ、スタッフからは「何を考えているかわからない」「話しかけにくい」という声が上がっていました。
Aさん自身は、そんなつもりは全くなかったそうです。
「自分はいつでも話しかけていいよ、と思っていた。でもそれを言葉にしていなかった」と振り返っていました。
あるとき、Aさんは一つのことを試してみました。
朝、出勤してきたスタッフに声をかける前に、まず3秒だけ相手を見る。表情はどうか。
いつもと違う様子はないか。
それだけを確かめてから話しかける。
たったこれだけです。
最初は「そんなことで何が変わるのか」と思ったそうです。
でも1か月ほど続けていると、スタッフから自然と話しかけてくれることが増えてきました。
「最近、相談しやすくなった」という声も出てきました。
Aさんが変えたのは、たった3秒の「ひと手間」です。
でも、その3秒が、「自分のことをちゃんと見てくれている」というメッセージになっていたのかもしれません。
自分の感覚を取り戻すことが、経営の土台になる
経営者は、強くいなければならない場面が多いです。
不安を見せてはいけない。
ぶれてはいけない。
いつも前向きでいなければならない。
そういったプレッシャーの中で、「自分が今どんな状態にあるか」を後回しにしてしまうことがあります。
でも、自分の感覚に鈍くなった状態では、人の気持ちにも鈍くなります。
人の気持ちに鈍くなると、チームが動かなくなってきます。
チームが動かなくなると、業績にも影響します。
ひと手間をかける習慣は、自分の感覚を定期的に取り戻すためのものです。
たとえば朝の5分、手帳に今日のことを一言書く。
昼休みに、スマホを見ずにお茶を一杯だけ飲む。
帰りの車の中で、今日一番気になったことを一つだけ思い返す。
どれも特別なことではありません。
でも、こうした小さな時間の積み重ねが、「自分は今どこにいるのか」を確かめる機会になります。

まとめ:経営者の「ひと手間」が、会社を変える入口になる
今回の話をまとめると、次の3つになります。
一つ目は、便利さを追いかけるだけでは、感度が落ちていくことがある、ということです。
判断力も、人間関係も、自分への気づきも、すべて「感じる力」と深く結びついています。
二つ目は、「ひと手間」とは、大げさなことではない、ということです。
3秒だけ相手を見る。
5分だけスマホを置く。
そういった小さな行動が、積み重なると大きな変化につながることがあります。
三つ目は、ひと手間は経営者自身を守る時間でもある、ということです。
自分の感覚を整えることは、チームへの関わり方や判断の質に、じわじわと影響してきます。
「そんなことをしている暇はない」と感じる方もいるかもしれません。
でも、私が見てきた経営者の中で、長く安定して事業を続けている方の多くは、忙しい中でも自分の内側に目を向ける時間を持っていました。
まずは、今日の仕事のどこかで、一か所だけ「ひと手間」を試してみてはいかがでしょうか。
それが、新しい何かへの入口になるかもしれません。
