経営の本質と事業の意味
はじめに―なぜ、あなたは事業をしているのか
税理士として、多くの中小企業の経営者と向き合ってきました。
売上が落ちた、資金繰りが苦しい、人が辞めた、取引先とうまくいかない―そういう話を聞くたびに、私がいつも心の奥で思うことがあります。
「この方は、なぜ事業をされているのだろうか」
利益を得るため、生活のため、家族のため。
もちろん、それは大切なことです。
でも、それだけが目的なら、どうしてこんなに悩み、苦しみながらも続けているのでしょう。
ある本の中で、こんな趣旨のことが書かれていました。
人は、おいしいものを食べたり、良い暮らしをしたりするためだけにこの世に生まれてきたのではない。それらは人生の道中にある出来事に過ぎず、本来の目的はもっと別のところにある―自らを成長させ、より良いものへと高めていくこと、それこそが人間に与えられた使命なのではないか、と。
これは、事業にも同じことが言えるのではないでしょうか。
会社を大きくすることも、利益を出すことも、大切な目標です。
でもその奥に、「自分たちは何のために存在しているのか」という問いがある。
その問いに向き合っている経営者ほど、ぶれない軸を持っているように感じます。
「高めること」が、経営の本質
経営の世界では「ミッション(使命)」や「パーパス(目的)」という言葉をよく耳にします。
難しい言葉に聞こえますが、要するに「なんのためにこの仕事をしているのか」ということです。
一言で表すなら、それは「高めること」ではないかと思います。
自分を高める、お客様を高める、地域を高める、社会を高める。
事業とは、そういう営みではないかと思うのです。
ある工務店の経営者の話をしてみましょう。
その方は、もともと大手ハウスメーカーで設計士をされていました。
独立してからも、最初は「とにかく売上を上げなければ」という気持ちで仕事をしていたそうです。
ところが、あるとき施工したお客様のご家族から手紙が届きました。
「この家に引っ越してから、子どもが笑うようになりました。家族の時間が増えました。ありがとうございます」
その手紙を読んで、初めて気づいたといいます。
「家を建てることが仕事なんじゃない。家族の時間をつくることが仕事なんだ」と。
それから、その工務店は変わりました。
価格で競うことをやめ、「家族の笑顔をつくる家づくり」というテーマを全面に出すようになりました。
スタッフの採用でも、技術よりも「人の暮らしに寄り添える人かどうか」を重視するようになったそうです。
売上がすぐに上がったわけではありません。
でも、お客様の紹介が増え、スタッフが長く定着するようになり、気がつけば経営が安定していたといいます。
「高めること」を軸に据えると、判断がシンプルになる。
迷ったとき、「これはお客様や地域を高めることにつながるか」と問えばいい。
そういう経営の軸を持てると、ぶれにくくなります。
苦しみは「罰」ではなく「信号」である
経営をしていれば、必ずつらい時期があります。
売上が落ちる、主力スタッフが辞める、融資が通らない、競合に客を取られる。
「なぜ自分だけがこんな目に」と、夜中に天井を見つめる夜もあるかもしれません。
事業がうまくいかないとき、それは「あなたが悪い人だから」という罰ではありません。
何かを見直す必要がある、というシグナルかもしれない。
そう受け取れるかどうかが、その後の経営を大きく左右するのではないでしょうか。
たとえば、こんな例があります。
ある飲食店のオーナーが、数年前に売上が急落する経験をしました。
コロナ禍というわけではなく、近隣に大型チェーン店がオープンしたことで、常連のお客様が一気に流れてしまったのです。
最初は「あんな安売り店に負けるなんて」と悔しさと怒りでいっぱいだったそうです。
でもあるとき、ふと立ち止まって考えました。
「もしかして、うちは価格以外の理由でお客様に来てもらう理由をつくれていなかったのかもしれない」と。
それから、そのオーナーはお客様に正直に聞いて回りました。
「うちの店の、何が好きでしたか」と。
返ってきた言葉は、料理よりも「あなたの顔を見に来ていた」「話しかけてくれるのが楽しかった」というものが多かったそうです。
そこで気づいたのです。
自分の強みは、料理の安さでも豪華さでもなく、「人」だったと。
その後、常連さんとの関係を深めるイベントを始め、「ここじゃなきゃ味わえない時間」を売りにしたところ、少しずつお客様が戻ってきたといいます。
苦境は、見落としていたものを教えてくれる。
そう受け取ることができれば、経営の視野がぐっと広がるのではないでしょうか。
「体が苦しくても、心まで苦しくしなくていい」
以前、そんな趣旨の言葉を目にしたことがあります。
困難な状況は困難な状況として、そのままある。
それは否定しなくていい。
ただ、状況がどれほど厳しくても、心の向き方まで状況に飲み込まれてしまう必要はない。
むしろ心こそが、現状を少しずつ変えていくための力の源になる―そういう考え方です。
経営に置き換えれば、こういうことかもしれません。
売上が落ちているのは事実だ。資金繰りが厳しいのも事実だ。
でも、だからといって心まで暗くなる必要はない。
心が折れると、判断が鈍くなる。
発想が狭くなる。
人への接し方も変わってしまう。
そして、そのしわ寄せはスタッフに伝わります。
経営者の表情や言葉は、思っている以上に職場全体に影響を与えます。
もちろん、「明るくしていなさい」と簡単に言えるものではないことは、わかっています。
苦しいときに無理に笑うのは、つらいことです。
でも、「状況と気持ち」を少しだけ切り離して考えてみることは、できるかもしれません。
かつて読んだ本の中に、こんな趣旨のことが書かれていました。
「調子はどうですか」と聞かれたとき、体の状態ではなく、心の状態を答えなさい、と。どんな状況にあっても、「おかげさまで元気です」と口にすることで、心の向き方を整えていく―そういう考え方です。
これは、「現実から目をそらせ」ということではありません。
状況がどうであれ、自分の内側の状態は、自分で選ぶことができる―そういうことだと私は受け取っています。
経営者にとって、これは特に大切なことではないかと思います。
スタッフに「調子はどうですか」と聞かれたとき、真っ先に「いやあ、厳しくてね」と答えてしまうのか。
それとも「まあ、やってるよ。一緒に考えていこう」と答えるのか。
その違いは、職場の空気を大きく変えます。
経営者の「軸」が、チームを動かす
経営者が「何のために事業をしているのか」を持っているかどうか。
そして、どんな状況でも心の方向性を保てるかどうか。
これが、会社の空気を決める大きな要素だと感じています。
社員は、経営者をよく見ています。言葉だけでなく、表情、態度、小さな判断の積み重ねを。
その一つひとつから、「この会社で働いていていいのかどうか」を感じ取っています。
「高めること」を事業の軸に据えている経営者のもとでは、スタッフも自然と「自分はお客様の役に立っているのか」を考えるようになります。
反対に、経営者が数字の話しかしていないと、スタッフも「どうすれば怒られないか」という思考になりがちです。
経営者一人ひとりのあり方が、チーム全体の文化をつくっていく。
そう考えると、「自分の在り方を整える」ことが、実はもっとも大切な経営行為の一つかもしれません。

まとめ―今日から、一つだけ始めてみませんか
難しい話をしてきましたが、結局のところ、お伝えしたいのはシンプルなことです。
一つ目は、「なんのためにこの事業をしているのか」を、もう一度、静かに考えてみてほしいということ。
利益のためだけでなく、その先に何があるのか。
お客様の何を高めたいのか。
地域に何をもたらしたいのか。
それを言葉にしてみるだけで、経営の判断が変わってくることがあります。
二つ目は、「苦しいことが続いているとき、それを罰として受け取るのではなく、信号として受け取ってみる」ということ。
何かを見直すきっかけとして活かせないか、少し立ち止まって考えてみることが大切です。
三つ目は、「状況と気持ちを切り離す習慣」を少しずつ育てること。
体が疲れていても、心の向き方は選べる。
「おかげさまで元気です」と言い続けることで、本当に気持ちが整ってくることもあります。
経営は、長距離走です。毎日が山あり谷ありですが、それでも続けてこられた方には、必ず何かが積み重なっています。
あなたの事業には、あなただけの意味がある。
その意味を大切に育てていくことが、経営の本質ではないかと思います。
まずは今日、「自分はなんのために仕事をしているのか」という問いを、手帳の片隅にでも書いてみてください。
小さな一歩が、大きな変化の始まりになることがあります。
