たった一人の顔を思い浮かべると、なぜ商品は伝わるのか
なぜ「なるべく多くの人に」がうまくいかないのか
商品やサービスを考えるとき、多くの経営者の方は「できるだけ多くの人に買ってもらいたい」と考えるのではないでしょうか。
これは自然な気持ちです。
誰だって、自分の商品を一人でも多くの人に届けたいものです。
けれども、この「なるべく多くの人に」という考え方が、実は売れない原因になっていることが少なくありません。
多くの人に向けて言葉を選ぼうとすると、どうしても表現があいまいになってしまうからです。
たとえば「幅広い年齢層の方におすすめです」「どなたにも使いやすい商品です」という説明を目にしたとき、心が動く方はあまり多くないのではないでしょうか。
誰にでも当てはまる言葉は、裏を返せば、誰の心にも深く刺さらない言葉でもあります。
これは、大勢に向けて叫んでいるのに、誰も自分に話しかけられているとは思わない、という状態に似ています。
声は届いているはずなのに、聞いている人の耳には届いていない。
そんなもどかしさを感じたことのある経営者の方も、きっといらっしゃるだろうと思います。
たった一人のお客様を思い浮かべてみる
そこで考えてみたいのが、「お客様を一人に絞る」という発想です。
これは、これから商品を買ってくれそうな、漠然とした集団をイメージするのではありません。
実際に自分が知っている、顔の見える誰か一人を思い浮かべる、ということです。
たとえば、長年通ってくださっている常連のお客様でもよいですし、以前に「これがあって助かった」と言ってくださった方でもよいでしょう。
あるいは、家族や知人の中に、自分の商品を心から喜んでくれそうな人がいれば、その人を思い浮かべてみるのも一つの方法です。
大切なのは、実在する一人を思い浮かべることです。
架空の「30代・女性・会社員」といった記号のような人物像ではなく、名前と顔がある、生身の一人です。
なぜなら、記号としての人物像では、その人がどんな一日を過ごし、何に困り、何を大切にしているかまでは想像しにくいからです。
実在する一人であれば、その人の口癖や、困っていたときの表情まで、具体的に思い出すことができます。
一人に絞ると、なぜ価値が伝わりやすくなるのか
お客様を一人に絞ると、その人が何を求めているのか、どんな理由で商品を選ぶのかが、驚くほどはっきり見えてきます。
これは、大勢の前でスピーチをするときと、親しい友人一人に話しかけるときの違いに近いかもしれません。
大勢の前では、誰にでも通じる無難な言葉を選びがちです。
しかし、目の前に一人の友人がいれば、その人の悩みや性格を思い浮かべながら、自然と的確な言葉が出てくるものです。
商品づくりや発信の言葉も、これと同じではないでしょうか。
一人のお客様を思い浮かべることで、「この人なら、こういう言い方をすれば伝わるはずだ」「この人が本当に困っているのは、実はここではないか」ということが見えてきます。
そして不思議なことに、たった一人のために考え抜いた言葉や商品は、その一人だけでなく、似たような状況にある多くの方の心にも届くようになります。
これは、対象を狭めたはずなのに、結果として届く範囲が広がるという、一見矛盾したことが起きるからです。
事例:まちの電器店に起きた変化
ここで、ある電器店の話をご紹介したいと思います。内藤さんという方が営む、従業員三名ほどの小さな電器店です。
内藤電器では、以前はチラシに「エアコン・冷蔵庫・洗濯機、地域最安値に挑戦」と書いていました。しかし、近くに大型の家電量販店ができてからというもの、値段の勝負では太刀打ちできず、来店するお客様は年々減っていったそうです。
あるとき内藤さんは、これまでのお客様の顔を一人ずつ思い出してみることにしました。
すると、印象に残っている一人のお客様が浮かんできました。
近所に一人で暮らす、80代の女性です。
その方は、以前エアコンが故障したとき、真夏の暑い盛りに数日間、不安な思いで過ごしていたと話してくれたことがありました。
内藤さんは、そのお客様一人を思い浮かべながら、チラシの言葉を変えてみることにしました。
「最安値」という言葉をやめ、「ご高齢の方のお宅こそ、故障の前触れを早めに見つけます。半年に一度、無料で点検にうかがいます」という言葉に変えたのです。
すると反応が変わりました。値段では比較されなくなり、代わりに「うちの親も見てもらえますか」という問い合わせが増えていったそうです。
値引き合戦から抜け出し、内藤さんにしかできない役割が、はっきりと見えてきた瞬間だったのではないかと思います。
この事例が示しているのは、お客様を一人に絞ったことで、内藤電器の本当の価値である「見守り」という部分が、初めて言葉にできたということです。
多くの人に向けていたときには、決して出てこなかった言葉ではないでしょうか。
お客様が求めているものを想像する
お客様を一人に絞るということは、単に「この人に売ろう」と決めることではありません。
その一人が、どんな理由で商品を選ぶのか、どんな価値を求めているのかを、想像することでもあります。
同じ商品であっても、人によって求めているものはまったく違います。
先ほどの電器店の例で言えば、若い共働きの夫婦であれば「時短」や「操作の簡単さ」を求めるかもしれません。
一方、一人暮らしの高齢の方であれば、「安心」や「何かあったときにすぐ来てくれること」を求めているのかもしれません。
どちらが正しいということではなく、どちらのお客様を思い浮かべるかによって、伝えるべき言葉も、力を入れるべき部分も、まったく変わってくるということです。
ここで一つ、考えてみていただきたい問いがあります。
それは、「その一人は、なぜ他の店ではなく、あなたの店を選んでくれたのか」という問いです。
この問いに丁寧に答えようとすると、自分でも気づいていなかった、自社の本当の強みが見えてくることがあります。
絞り込むことへの不安とどう向き合うか
ここまで読んで、「一人に絞ってしまったら、他のお客様を逃してしまうのではないか」と不安に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
この不安は、とてもよく分かります。
しかし、実際に起きることは、その逆であることが多いようです。
お客様を一人に絞り込むというのは、その一人以外お断りするという意味ではありません。
むしろ、その一人に向けて言葉を研ぎ澄ますことで、結果的に多くの共感を呼び込む、という考え方です。
先ほどの内藤電器の例でも、対象を「一人暮らしの高齢の方」に絞ったからといって、若い世代のお客様が離れていったわけではありませんでした。
むしろ、「そこまで一人のお客様を大切にする店なら、自分の家も任せられる」と感じた、まったく別の層のお客様が増えていったといいます。
一人に向けた誠実な言葉には、その一人以外の人の心も動かす力があるのではないでしょうか。
これは、対象を絞ることと、多くの方に届くことが、決して矛盾しないということを示しているように思います。
まずは一人を思い浮かべることから始めてみる
とはいえ、いきなり「たった一人のお客様を思い浮かべてください」と言われても、何から手をつければよいか迷う方も多いだろうと思います。
そうした場合は、まず、これまでのお客様の中で、最も印象に残っている一人を思い出すことから始めてみるのも一つです。
特別なきっかけがなくても構いません。「ありがとう」と言ってくれた方、何度も繰り返し来てくれる方、そうした一人を思い浮かべてみてください。
次に、その方がどんな場面で自分の商品やサービスに出会ったのか、どんなことで困っていたのか、思い出せる範囲で書き出してみましょう。
書き出すことで、頭の中だけで考えていたときには気づかなかったことが、見えてくることがあります。
そして最後に、その一人に向けて、今使っている広告やチラシ、ホームページの言葉を読み返してみてください。
もしその言葉が、その一人には響かないと感じるなら、それは書き直すべきサインかもしれません。

おわりに
お客様を一人に絞るというのは、経営の規模を小さくすることではありません。
むしろ、自分たちの本当の価値を見つけ出すための、静かな一歩ではないかと思います。
大勢に向けて声を張り上げるよりも、目の前の一人に、心を込めて語りかけること。
そこから生まれた言葉は、思いのほか遠くまで届くものです。
今日からすぐに、大きな変化を起こす必要はありません。
まずは、これまでのお客様の中から、一人の顔を思い浮かべてみる。
そんな小さな一歩から、始めてみてはいかがでしょうか。
その一人との対話の中にこそ、これからの経営を明るく照らすヒントが、きっと隠れているだろうと思います。
