「安い」だけでは選ばれ続けない ― 価格の裏にある、もうひとつの経営戦略
家庭用のコーヒーメーカーを買うとき、本体そのものは意外と手ごろな価格で売られていることに気づいたことはないでしょうか。
ところが、専用のコーヒーカプセルを買い続けていくと、いつの間にか本体の価格よりもずっと多くのお金を、カプセル代として払っていた―そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
これは偶然ではありません。
多くの企業が意図的に採用している、ある価格の工夫によるものです。
プリンターとインク、ゲーム機とソフト、ひげ剃りとその替え刃など、探してみると、身の回りには同じような仕組みの商品が、意外とたくさんあることに気づきます。
私は税理士として、長年にわたり中小企業の経営者の方々とお話をしてきました。
日々の資金繰りや、値決めの悩みをうかがうなかで、「値段の決め方」というのは、単なる算数の話ではなく、お客様との関係そのものを映し出すものだと感じることがよくあります。
今日は、この仕組みについて、身近な例を交えながら考えてみたいと思います。
そして、この考え方が、皆様ご自身の会社にとっても、実は大きなヒントになるかもしれない、という話をしていきます。
「入り口」と「その後」を分けて考える価格の工夫
まず、この価格の工夫の基本的な考え方をご紹介します。
多くの商品には、「本体」と、それを使い続けるために必要な「消耗品」という、二つの要素があります。
たとえば、コーヒーメーカーとカプセル、ひげ剃り用のホルダーと交換用の刃、あるいはゲーム機とソフトなどが、その代表的な例です。
こうした商品を売る会社の多くは、まず「本体」の値段を思い切って安く設定します。
そして、いったんそのお客様に本体を使ってもらい、暮らしの中に定着してもらったあとで、「消耗品」を継続的に買っていただくことで、じっくりと利益を積み上げていくのです。
なぜ、こうした工夫が成り立つのでしょうか。
それは、人には「一度使い慣れたものを、わざわざ別のものに変えるのは面倒だ」という気持ちがあるからだと考えられます。
専門的には、こうした「乗り換えにかかる手間や心理的な負担」のことを「スイッチングコスト」と呼ぶこともありますが、要するに「今のままで十分ではないか」という、ごく自然な気持ちのことです。
新しい本体に買い替えるとなると、購入費用だけでなく、使い方を覚え直す手間や、慣れるまでのストレスもかかります。
だからこそ、多くの方は、多少消耗品が高くても、そのまま同じ会社の製品を使い続けてしまうのです。
こうした「本体を安くして、消耗品でゆっくり利益を得る」という価格の考え方は、専門用語で「キャプティブ価格」と呼ばれることもあります。
「キャプティブ」とは「捕らわれた」という意味で、いったん取り込んだお客様との関係を長く維持する、という発想から名づけられたのでしょう。
もっとも、この発想は「本体と消耗品」というモノの関係に限った話ではありません。
たとえば、月々の会費をいただきながら継続的にサービスを提供する形や、定期的な点検をセットにした契約なども、根っこにある考え方は同じです。
「最初のきっかけを作り、そのあとの関係を長く続けていただく」という発想そのものが、この価格の工夫の本質だといえるのではないでしょうか。
実際の場面で考えてみる
この考え方を、もう少し具体的な場面で見てみましょう。
ある美容機器メーカーの例を考えてみます(実際にあった話をもとにした、一つのたとえ話とお考えください)。
この会社は、頭皮ケア専用の美容機器を、美容室向けに開発しました。
競合メーカーの同等品と比べても、かなり控えめな価格で機器を提供していたそうです。
美容室の経営者からすれば、初期投資が抑えられるのは大変ありがたいことです。
多くの美容室がこの機器を導入しました。
ところが、この機器には、専用の薬剤を継続的に使う必要がありました。
他社の薬剤では、同じ効果が得られない仕組みになっていたのです。
美容室は、機器を導入したあと、この専用薬剤を定期的に発注し続けることになります。
そして、メーカーはこの薬剤の販売によって、着実に利益を積み重ねていったといいます。
美容室側からすれば、「機器を入れ替える」という選択肢は、現実的には取りにくいものです。
すでにスタッフが操作に慣れており、常連のお客様にも「あの施術」として定着しています。
多少薬剤が割高でも、変更するコストやリスクのほうが大きく感じられるのでしょう。
導入から数年が経つころには、多くの美容室にとって、この機器はすでに施術の一部として定着していました。
スタッフの教育も、この機器を前提に組み立てられています。
お客様のカルテにも、この機器を使った施術の記録が積み重なっています。
こうなると、たとえ別のメーカーがもっと安い薬剤を扱う機器を売り込んできても、簡単には切り替えられません。
切り替えには、新しい機器の購入費だけでなく、スタッフの再教育や、施術メニューの見直し、常連のお客様への説明といった、目に見えにくい手間もかかるからです。
このように、「最初の入り口」を魅力的にしたうえで、「その後の関係」で収益を積み上げていくという発想は、業種を問わず、さまざまな場面で見られるのではないでしょうか。
なぜ、この話が経営者にとって大切なのか
ここまでの話を読んで、「うちは美容機器も、コーヒーメーカーも扱っていないから、関係ない話だ」と感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
けれども、この考え方の本質は、「モノ」の話ではなく、「お客様との関係を、どう長く続けていただくか」という話ではないでしょうか。
たとえば、次のような問いを、ご自身の会社に置き換えて考えてみると、新しい発見があるかもしれません。
一度取引を始めていただいたお客様に、また次も選んでいただくための工夫は、何かあるでしょうか。
お客様が「他社に変えるのは、ちょっと面倒だな」と感じてくださる理由を、自社は持っているでしょうか。
逆に、簡単に他社へ切り替えられてしまう状態になっていないでしょうか。
多くの経営者が、日々の業務に追われるなかで、「新しいお客様をどう獲得するか」には熱心に取り組む一方、「すでにお付き合いのあるお客様に、どう長く選び続けていただくか」については、後回しになりがちだと感じます。
しかし、新しいお客様を一人獲得するためにかかる費用は、既存のお客様に続けていただくための費用よりも、ずっと大きいことが多いものです。
そう考えると、「入り口」の工夫だけでなく、「その後の関係づくり」に目を向けることは、決して遠回りではなく、むしろ経営の土台を強くする、大切な取り組みなのではないでしょうか。
小さな会社だからこそ、できることがある
ここで、少し勇気づけられるような話もしておきたいと思います。
大きな会社が「その後の関係」を築くためには、専用の仕組みや、他社を寄せつけない技術的な工夫が必要になることが多いものです。
開発にも、それなりの時間とお金がかかります。
けれども、従業員十名前後の会社や、個人で事業をされている方にとっては、もっと身近な武器があります。
それは、経営者ご自身や、スタッフの皆さんが、お客様お一人おひとりの顔や事情を知っている、という強みです。
大きな会社では、担当者が数年ごとに変わり、お客様は「また一から説明しなければならない」と感じることも少なくありません。
一方、小さな会社では、同じ人が長くお客様と向き合い続けることができます。
「あのときの相談、覚えていますよ」という一言が、お客様にとって何よりの安心につながることもあるのではないでしょうか。
専用の機器や仕組みがなくても、こうした「顔の見える関係」こそが、他社への切り替えをためらわせる、もっとも自然で、もっとも信頼できる理由になり得ると、私は考えています。
自社に置き換えて考えるヒント
では、実際にどこから考え始めればよいのでしょうか。
難しく考える必要はありません。
いきなり大きな仕組みを作ろうとせず、まずは、次のような視点から、ご自身の会社を、少し離れたところから眺めてみるのも一つです。
頭の中だけで考えるより、紙に書き出してみると、案外いろいろなことが見えてくるものです。
一つ目は、「お客様が、また自社を選んでくださる理由」を、あらためて言葉にしてみることです。
価格の安さだけが理由になっていないでしょうか。
もし価格だけが理由だとすると、より安い競合が現れたとたんに、お客様は離れてしまう可能性があります。
技術力、対応の丁寧さ、長年積み重ねてきた信頼関係など、価格以外の理由を、意識的に育てていくことも大切だと考えられます。
二つ目は、「一度きりの取引」で終わっている商品やサービスがないか、見直してみることです。
たとえば、商品を売って終わりではなく、その後の点検や、消耗品の定期的なお届け、困ったときにすぐ相談していただける体制といった形で、継続的な関わりを持てる余地はないでしょうか。
こうした継続的な関わりは、お客様にとっても安心材料になりますし、会社にとっても、収益の土台を安定させることにつながります。
三つ目は、「乗り換えにくさ」を、無理に作り出そうとしないことです。
先ほどの美容機器の例のように、専用の仕組みでお客様を縛りつけるやり方は、たしかに一つの戦略ではあります。
けれども、これを行き過ぎた形で使うと、お客様の不満や不信感につながりかねません。
大切なのは、「変えたくない」と思っていただけるような、良い関係や信頼を積み重ねていくことではないでしょうか。
四つ目は、価格の全体像を、お客様にきちんとお伝えすることです。
最初の価格だけでなく、その後にかかる費用についても、できるだけ早い段階で、分かりやすく説明しておく。
そうすることで、お客様は納得したうえで選んでくださいますし、あとになって「聞いていなかった」という不満が生まれることも防げます。
目先の売上を少し犠牲にしてでも、こうした誠実な説明を積み重ねることが、結果として長いお付き合いにつながるのではないでしょうか。
気をつけておきたいこと
ここで一つ、注意しておきたい点があります。
それは、「消耗品や継続的なサービスの価格を、必要以上に高く設定してしまう」というリスクです。
お客様は、本体を購入した時点では、その後にかかる継続的な費用に、あまり注意を払っていないことが多いものです。
しかし、使い続けるなかで、「思っていたより、費用がかさむな」と感じる場面が出てくると、その会社全体への信頼が揺らいでしまうこともあります。
たとえば、修理の見積もりを頼んだお客様が、「部品代はこんなに安いのに、なぜここまで工賃がかかるのだろう」と、ふと疑問に感じる瞬間を想像してみてください。
その瞬間の小さな違和感が積み重なると、やがて「この会社は、なんとなく分かりにくい」という印象につながってしまいます。
一つひとつの取引は正当であっても、積み重なった印象が、お客様の心には残るものです。
一時的には利益が増えたとしても、長い目で見れば、お客様に割高感や不透明感を持たれてしまうことは、会社にとって大きな損失につながりかねません。
目先の利益と、長期的な信頼のバランスを、常に意識しておくことが大切ではないでしょうか。

おわりに
「本体を安くして、その後の関係で利益を積み上げる」という価格の工夫は、一見すると、大きな会社だけの特別な戦略のように思えるかもしれません。
けれども、その本質にあるのは、「一度築いたご縁を、どう大切に育てていくか」という、とてもシンプルな問いです。
これは、規模の大小にかかわらず、すべての会社に当てはまる話ではないでしょうか。
まずは、ご自身の会社の商品やサービスを、「入り口」と「その後」という二つの視点で、あらためて眺めてみることから始めてみるのも一つです。
難しい計算やデータは、あとからいくらでも整えられます。
最初の一歩は、「うちのお客様は、なぜまた自社を選んでくださっているのだろう」と、あらためて問い直してみることではないでしょうか。
その答えは、決算書の数字だけを見ていても出てきません。
日々の接客や、電話一本のやり取り、ちょっとした世間話のなかにこそ、ヒントが隠れていることが多いように思います。
日々、目の前のお客様と丁寧に向き合っておられる皆様だからこそ、きっと、自社ならではの答えを見つけていけるはずだと、私は思っています。
そして、その答えを一つずつ形にしていくことが、これからの会社を、少しずつ、けれども確実に強くしていくのではないでしょうか。
