誰も声を上げなかったルールに、一歩踏み出す勇気
長くひとつの業界で仕事をしていると、いつのまにか誰も疑わない「当たり前」ができあがっていきます。
最初は何かしらの合理的な理由があったはずなのに、時代が変わってもそのまま続けられ、気づけば「昔からそうだから」という理由だけで守られていることが少なくありません。
まるで、長年みんなが歩いてきたことで自然にできあがった細い道のようなものかもしれません。
誰も測って作ったわけではないのに、いつのまにか誰もがそこを歩くようになっている。
そんなイメージです。
しかも厄介なのは、その「当たり前」に違和感を覚えている人が、実は一人や二人ではないという点です。
お客様も、取引先も、そして経営者自身も、心のどこかで「本当にこのままでいいのだろうか」と感じながら、日々の忙しさの中で見て見ぬふりをしている。
そんな光景は、業種を問わず、意外とよくあるものではないでしょうか。
今日は、そうした業界の「当たり前」に静かに疑問を持ち、勇気を持って一歩を踏み出したある経営者の話から、私たち一人ひとりの会社にも当てはまりそうなヒントを、一緒に探ってみたいと思います。
「当たり前」はどうして生まれ、なぜ変えにくいのか
そもそも業界の慣習というものは、誰かが悪意を持ってつくったわけではありません。
ある時代にはそれなりに理にかなった仕組みだったからこそ広まり、みんなが同じようにするうちに、いつのまにか「そういうもの」として固定化していきます。最初にその仕組みを始めた人には、きっと真面目な理由があったはずなのです。
厄介なのは、時代や状況が変わっても、それがなかなか見直されないところです。
長く付き合いのある取引先との関係を壊したくないという思い、自分だけがやり方を変えることで損をするのではないかという不安、前例がないことへのためらい。
こうした事情が重なって、多くの人が心のどこかで「これでいいのだろうか」と感じながらも、誰も最初の一歩を踏み出せずにいる、という状況が生まれます。
「みんなで同じことをしているから、うちだけがおかしいわけではない」という安心感もあって、まわりが誰も動かない中で自分だけ先に動くのは、たしかに勇気がいることです。
これは決して大企業だけの話ではないと思います。
従業員が十名前後の会社であっても、長年続けてきた値引きの慣習、取引先に言われるままの納期対応、見積もりに当然のように含めてしまっている手間のかかるサービスなど、一度できあがった「うちのやり方」を見直すのは、簡単なことではないと感じている経営者も多いのではないでしょうか。
誰かが「そろそろ変えませんか」と言い出さない限り、その仕組みは何十年も続いていくことになります。
音楽業界で起きた、小さくて大きな一歩
少し違う世界の話から、ヒントを探ってみたいと思います。
音楽業界では長らく、CDというかたちで音楽を届けることが中心でした。
そして、ヒットチャートの順位を左右する大きな指標のひとつが、CDの販売枚数だったといわれています。
より多くの人に、そしてできれば同じ人に何枚も買ってもらうために、特典やイベントへの参加権など、さまざまな付加価値を添えて販売する方法が広がっていきました。
その結果、本来は一枚あれば十分なはずのCDを、ファンが何十枚も購入するという現象が起きるようになります。
開封されないまま大量に捨てられるCDが社会問題として報じられることも、たびたびありました。
多くの関係者が、この仕組みに違和感を覚えていたと言われています。
それでも、業界全体がその前提で成り立っている以上、自分たちだけが抜け出すのは簡単ではありません。
誰かが最初に手を挙げれば、その会社だけが売上を落とすことになるかもしれない。
そう思うと、なかなか声を上げにくいものです。
そんな中、あるアーティスト出身の音楽事務所経営者が、2024年、この構造そのものに向き合う考えを、業界に向けて公表しました。
そこで示されたのは、単なる問題提起にとどまらない、具体的な行動でした。
CDの製造段階からプラスチックの使用を減らしていくこと、そして特典で釣るのではなく、本当に欲しいと思ってもらえるグッズそのものを、直接選んで買える仕組みを試験的に整えていくこと。
しかも、CDの販売を一気にやめてしまうのではなく、丁寧に作り込んだ作品を届けたいという思いは大切にしながら、無理のない範囲で少しずつ進める、という姿勢が貫かれていました。
長年その仕組みで利益を得てきたレコード会社や販売店への配慮も忘れず、あくまで前向きな提案というかたちで届けられたところに、発表した経営者の思慮深さがにじみ出ているように感じます。
実際にその後発売された作品では、紙を使った簡素な仕様に切り替えることで、CD一枚あたりのプラスチック使用量を大きく減らしたと報告されています。
その結果、CD自体の出荷枚数はいくらか減ったものの、作品にまつわるグッズなども含めた総売上は、前の作品のおよそ二倍にまで伸びたそうです。
捨てられるはずだった資材を減らしながら、事業としてもしっかり成果を出す。
理想論で終わらせず、数字でも結果を示したことが、このメッセージの説得力をさらに高めたのではないかと考えられます。
なぜこの取り組みは受け入れられたのか
この一連の出来事には、業界の当たり前を変えようとするときに大切な姿勢が、いくつも詰まっているように感じます。
まず、ただ既存のやり方を批判するのではなく、具体的な代案とともに考えを示したことです。
「これはおかしい」で終わらせず、「では、こうしてみてはどうか」というかたちで届けたからこそ、多くの人の共感を得られたのではないでしょうか。
不満や理想だけを語る発信は、どうしても他人事のように受け取られがちですが、自分たちがまず動いてみせる姿勢があると、聞き手の受け止め方は大きく変わってきます。
次に、関係する取引先の事情にも配慮していたことです。
長年その仕組みで成り立ってきたレコード会社や販売店にも、それぞれの立場や事情があります。すべてを一方的に否定するのではなく、共に前に進む道を探る姿勢が感じられます。
そして、いきなりすべてを変えようとせず、まずは一部の作品から試験的な取り組みを始めたことも見逃せません。
大きな変化ほど、段階を踏んで進めたほうが、周囲もついてきやすくなります。
加えて、取り組んだ結果を数字とともに公にしたことで、他の会社にとっても「うちでもできるかもしれない」と考えるきっかけになったとも考えられます。
小さな会社だからこそのしなやかさ
大きな会社の話をすると、「うちのような小さな会社には関係ない」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、むしろ逆ではないかと私は考えています。
大きな組織では、ひとつの仕組みを変えるにも、多くの部署や役職者の合意が必要になります。
検討だけで何か月もかかることも珍しくありません。
その点、従業員が十名前後の会社であれば、経営者の判断ひとつで、明日からでも小さな試みを始めることができます。
決裁のための会議も、複雑な稟議も必要ありません。
さらに、小さな会社ほど、お客様の声が経営者本人に直接届きやすいという強みもあります。
現場と経営の距離が近いからこそ、「本当はこう思っている」という本音に気づきやすく、それを次の一手に反映させるまでのスピードも速くなります。
規模の大きさは、必ずしも変化のしやすさとは比例しないのではないでしょうか。
もちろん、変えることにはリスクも伴います。
だからこそ、いきなり会社全体のやり方を変えるのではなく、まずは一部分だけで試してみる、という進め方が現実的です。
うまくいけば少しずつ広げていけば良いですし、思うような手応えが得られなければ、元のやり方に戻すこともできます。
小さく始められることは、失敗した時にも立て直しやすいという安心感にもつながります。
身近な会社にも、似たような「当たり前」があるかもしれません
もう少し身近な例で考えてみましょう。
ある地方都市で小さな印刷会社を営む若林さんは、長年、業界の商習慣に沿って仕事をしてきました。
印刷業界では、まとまった部数を発注してもらうほど一枚あたりの単価が下がる仕組みが一般的で、これも長い歴史の中で定着してきたものです。
取引先の多くは、必要な数以上にまとめて発注することで単価を抑えようとします。
ある日、長年の顧客から、こんな本音を打ち明けられたそうです。
「本当は必要な分だけ欲しいのだけれど、少ない部数だと割高になってしまうので、仕方なくまとめて頼んでいる」。
使い切れずに倉庫の隅で眠り、最後は資源ごみとして処分される印刷物が、実はかなりの量にのぼっていることに、若林さんは改めて気づかされました。
値段のためだけに、本当は必要のないものを刷り続けているとしたら、それは誰のためにもなっていないのではないか。
そう考えるようになったといいます。
同業者に相談すると、「大口のほうが効率がいいのだから、今のままでいい」という反応がほとんどでした。
社内からも、小ロットの対応は手間が増えるだけではないか、値下げにつながって利益が減るのではないか、という声が上がりました。
もっともな心配だったと思います。
それでも若林さんは、いきなり会社全体のやり方を変えるのではなく、まずは一部の商品に絞って、少ない部数でも無理のない価格で対応できる仕組みを試験的に整えてみることにしました。
最初のうちは戸惑いもあったようですが、「必要な分だけ気軽に頼めるようになった」「もう捨てなくて済む」と喜ぶ声が少しずつ増えていきました。
やがてそれが評判を呼び、新しい顧客からの紹介も増えていったといいます。
社内でも、無駄な刷り直しや在庫管理の手間が減り、思っていたほど負担は増えなかったそうです。
すべてを一度に変えたわけではなく、できるところから、小さく試してみたことが、結果として会社の強みにつながった一例と言えそうです。

経営者への問いかけとして
業界の「当たり前」は、はじめから何もかも疑ってかかる必要はないと思います。
むしろ、長年積み重ねられてきた仕組みには、それなりの理由があることも多いものです。
ただ、時折立ち止まって、「これは本当に、お客様のためになっているだろうか」「誰のための仕組みなのだろうか」と、静かに問い直してみる価値はあるのではないでしょうか。
税理士という立場から数字を拝見していると、こうした「当たり前」の中に、実は目に見えにくい無駄が隠れていることに気づかされることがあります。
使われないまま処分される在庫や資材は、経費としては計上されても、会社の利益にはつながっていません。
お客様のためと思って続けてきた仕組みが、実は誰の得にもなっていない、ということも起こり得るのです。
業界の当たり前を見直すことは、お客様との関係を見つめ直す機会であると同時に、会社の数字を見つめ直す機会でもあるのではないでしょうか。
大きな組織であるほど、変化には時間がかかります。
逆に言えば、従業員十名前後の会社だからこそ、身軽に、小さく一歩を踏み出せるという強みもあるはずです。
すべてを一気に変える必要はありません。
まずは一部のお客様、一部の商品やサービスから、無理のない範囲で試してみることから始めても良いのではないでしょうか。
そのために、ご自身の会社の中にある「当たり前」を、ひとつだけ紙に書き出してみることから始めてみるのも一つかもしれません。
それが本当に今も必要なものなのか、それとも見直せる余地があるのか。
答えを急ぐ必要はありませんが、そうして立ち止まって考える時間そのものが、これからの会社の姿を少しずつかたちづくっていくように思います。
大きな理念を掲げて一気に会社を変える必要はありません。
今日ご紹介した音楽事務所の取り組みも、印刷会社の若林さんの取り組みも、最初の一歩はごく小さなものでした。
一部の商品から、一部のお客様から、無理のない範囲で試してみる。
うまくいけば少しずつ広げ、思うようにいかなければ立ち止まって考え直す。
そうした地道な繰り返しの先に、気づけば会社らしい新しいやり方ができあがっている、ということも少なくないように思います。
私たち税理士は、日々の数字を通じて経営者の皆様と向き合う立場ですが、こうした「当たり前」を見直す小さな一歩にも、これからも寄り添っていきたいと考えております。
