「人が来ない」と悩む前に、思い出してみたいこと
私はふだん、税理士として中小企業の経営者の方々とお話しする機会が多いのですが、ここ数年、決算や資金繰りの話と同じくらい、あるいはそれ以上に多く耳にするようになった悩みがあります。
それが「人が採れない」という悩みです。
求人サイトに広告を出しても応募が来ない。
ハローワークに求人票を出しても、問い合わせの電話一本鳴らない。
ようやくご縁があって入社してもらえても、数か月であっさり辞めてしまう。
飲食業や介護、建設業、運送業といった、日々人手を必要とする業種の経営者からは、「このままでは、人手が理由で会社をたたまざるを得なくなるかもしれない」という、切実な声を聞くことも増えました。
実際、人手不足を理由に事業の継続を断念する会社が出てきているというニュースも、決して他人事ではなくなってきています。
その一方で、ふと気づくのです。
同じ地域、同じ業界にありながら、まったく求人広告を出していないのに、向こうから「ここで働かせてください」と人が集まってくる会社が、たしかに存在するということに。
給料や待遇が飛び抜けて良いわけでもないのに、です。「昔からこの会社で働くのが夢だったんです」と言って入社してくる人さえいる。
そういう会社には、人を惹きつける、何か特別な力が働いているように見えます。
私が知っているある建設会社の社長は、こんな話をしてくれたことがあります。
地元の求人誌に何度広告を出しても反応がなかったのに、たまたまSNSに「この街の古い家を、次の世代に住み継げる形で直していきたい」という思いを綴った投稿をしたところ、そこから若い大工希望の応募が続いたというのです。
広告費をかけたわけでも、条件を変えたわけでもありません。
変わったのは、会社の考えていることが、初めて外に向けて言葉になったという点だけでした。
今日は、その「力の正体」について、一緒に考えてみたいと思います。
なぜ、同じような会社なのに差が生まれるのか
結論から申し上げると、この差を生んでいるのは、給料の額でも、福利厚生の手厚さでもないと考えられます。
もちろん、暮らしていくための条件は大切ですから、それを軽んじるつもりはありません。
ただ、条件だけを比べたときにほとんど差がない二つの会社であっても、片方には人が集まり、もう片方には集まらない、ということが実際に起きているのです。だとすれば、そこには条件面以外の要因があると考えるのが自然ではないでしょうか。
私は、その要因の中心にあるのは、「この会社は、何のために存在しているのか」という問いに、経営者自身がはっきり答えられるかどうかだと感じています。
この「会社が何のために存在するのか」という考え方は、経営の言葉では「ミッション」や「経営理念」と呼ばれることがあります。
難しく聞こえるかもしれませんが、要するに「うちの会社は、お客様や社会に対して、どんな役に立ちたいのか」という、いわば会社の存在理由のことです。
これがはっきりしている会社は、不思議と求人にも困りません。
それだけでなく、すでに働いているスタッフの表情も明るく、やりがいを持って働いている様子が伝わってきます。
逆に、これが曖昧なままの会社は、どれだけ条件面を整えても、なぜか人が定着しない、ということが起こりやすいように思います。
人は、生活のためにお金を必要としています。
それは間違いありません。
ですが同時に、人は「自分の毎日の仕事に、意味を感じたい」という気持ちも、心のどこかに持っているものではないでしょうか。
同じ作業をするにしても、「ただ言われたことをこなしている」のか、「誰かの暮らしの役に立っている」のかで、働く人の表情はまったく違ってきます。
会社の使命がはっきりしているということは、そこで働く一人ひとりに、この「意味」を渡してあげられるということでもあるのです。
もう少し踏み込んで考えてみましょう。
人がある会社で働き続けるかどうかを決める要因には、いくつかの段階があるように思います。
まず土台となるのは、生活していけるだけの給料や、安全に働ける環境です。
これがなければ、そもそも働き続けることはできません。
ですが、この土台が満たされたあとに人が求めるのは、「自分がここにいる意味」や「誰かに必要とされている実感」ではないでしょうか。
給料の額を少し上げるよりも、この「実感」を渡してあげられる会社の方が、結果として長く働いてもらえる、ということは、多くの現場で見られる傾向のように思います。
ヒマワリが太陽を向くように、人は「明るい方」に惹かれる
少し身近な例で考えてみましょう。
ヒマワリという花は、いつも太陽の方向を向いて咲きます。
日陰よりも、光が差し込む方へと、自然に顔を向けるわけです。
実は、人が会社を選ぶときの心の動きも、これによく似ているのではないでしょうか。
似たような業種、似たような条件の会社が二つあったとして、片方は将来への展望がはっきりしていて活気があり、もう片方はなんとなく日々の業務をこなしているだけに見える。
そうだとしたら、多くの人は自然と、明るく前向きな方に心を惹かれていくものです。
給料の数字だけを見比べているようでいて、実は人は「この会社で働いたら、自分にも意味のある毎日になりそうだ」と感じられるかどうかを、無意識のうちに嗅ぎ分けているのかもしれません。
求人票の文章一つ、面接での社長の話し方一つからも、そうした空気は伝わってしまうものです。
なぜ、多くの経営者は「使命」を言葉にできないのか
ここまでお話しすると、「そんなことは分かっている」とおっしゃる経営者の方も多くいらっしゃいます。
ただ、実際に「では、御社の使命を一文で教えてください」とお聞きすると、言葉に詰まってしまう方が少なくありません。
これは決して、その方の経営がうまくいっていないという意味ではないのです。
理由はいくつか考えられます。
一つは、日々の業務があまりに忙しく、立ち止まって考える時間そのものが取れないということ。
もう一つは、「使命」や「理念」というものは、大企業や有名なブランド企業が持つ特別なものであって、自分たちのような小さな会社には縁のないものだと、どこかで思い込んでしまっていることです。
さらには、自分の中では何となく分かっているつもりでも、いざ言葉にしようとすると照れくささが先に立ってしまう、という方もいらっしゃいます。
こうした理由から、多くの経営者の判断は「言葉にする」という手前で止まってしまいがちです。
ですが、止まっているのは、思いがないからではなく、思いを言葉にする機会がこれまでなかっただけ、ということも多いのです。
事例:小さな印刷会社が変わったきっかけ
ここで、ある印刷会社の事例をご紹介したいと思います。
従業員十二名ほどの、地方都市にある印刷会社がありました。
二代目の社長が引き継いだころには、大手のネット印刷に価格で対抗できず、受注はじわじわと減少。
求人を出しても、なかなか応募が来ない状態が続いていたそうです。
面接に来ても、「印刷の仕事に将来性を感じない」と言われてしまうこともあったといいます。
社長は悩んだ末に、価格競争から少し距離を置き、自分たちの会社が本当に大事にしたいことは何かを、あらためて言葉にしてみることにしました。
きっかけは、古くからお付き合いのある商店主から届いた「おたくに名刺を作ってもらってから、お客さんとの会話が増えたんだよ」という何気ない一言だったそうです。
その言葉をヒントに、社長がたどり着いたのは、「地域の小さな商店の想いを、紙という形にして届ける」という一文でした。
派手な言葉ではありませんが、代々受け継いできた活版印刷の技術を活かし、街の小さなお店の名刺やメニュー表に、一枚一枚、丁寧な物語を込めるという仕事の意味を、社長自身が初めてはっきりと言語化できた瞬間だったそうです。
この言葉を、会社の入り口や名刺、採用ページにそのまま掲げるようにしたところ、変化が起こり始めました。
以前は無反応だった求人に、デザインの専門学校を出たばかりの若者から、「ここでなら、自分の手で何かを生み出せる気がします」という応募が届くようになったのです。
給料の水準を大きく変えたわけではありません。
変わったのは、会社が「何のために存在しているか」を、社長自身が言葉にして発信し始めたことだけでした。
面白いのは、変化がこの若者だけにとどまらなかったことです。
何年も前から働いていたベテランの職人たちも、あらためて自分たちの仕事の意味を言葉で示されたことで、「自分たちがやってきたことは、こういうことだったのか」と誇りを取り戻したといいます。
採用の悩みをきっかけに始めたことが、社内全体の空気まで変えていった、という点が、この事例の興味深いところではないでしょうか。
この社長は、後にこう振り返っていました。
「言葉を掲げてから、応募の数そのものはそこまで大きく増えたわけではありません。ただ、面接に来る人の顔つきが変わったんです」と。
以前は条件だけを聞いて帰っていく人が多かったのに、言葉を掲げてからは、「なぜこの一文を大事にしているのか、もっと詳しく聞かせてください」と、こちらに問いかけてくる人が増えたのだそうです。
数字には表れにくい変化ですが、経営者にとっては、何より心強い変化だったのではないかと想像します。
では、何から始めればよいのか
この話を伺うと、多くの経営者の方が「うちにも、そういう理念のようなものが必要なのだろうか」と考え始めます。
ただ、いきなり立派な経営理念を掲げようとすると、かえって筆が止まってしまうことも多いようです。
まずは、大きな言葉を探すのではなく、次のような問いを、ご自身に静かに投げかけてみることから始めてみるのも一つではないでしょうか。
「うちの会社がなくなったら、お客様は何に困るだろうか」「創業したときに、最初に叶えたかったことは何だっただろうか」「スタッフに、この仕事のどんなところにやりがいを感じてほしいだろうか」。
こうした問いへの答えは、最初はうまく言葉にならなくても構わないのだと思います。
むしろ、経営者ご自身が日々の忙しさの中で、一度立ち止まって考えてみること自体に、大きな意味があるように感じます。
そして、言葉になったら、それを一度、社内の誰か、あるいは信頼できる第三者に話してみることをおすすめします。
他人に話すことで、自分の中で曖昧だった思いが、少しずつ輪郭を持ち始めることがあるからです。
さらに余裕があれば、その言葉を紙に書き出し、事務所の壁や採用ページなど、目に触れる場所に置いてみるのもよいでしょう。
言葉は、しまっておくだけでは力を発揮しません。誰かの目に触れてはじめて、少しずつ人を動かす力を持ち始めるのだと思います。
私自身、決算のご報告のついでに、経営者の方から「実は、こんな思いでこの会社をやっているんです」というお話を伺うことがありますが、その言葉こそが、実はその会社の一番の財産なのではないかと感じることが少なくありません。
数字には表れない財産だからこそ、意識して言葉にしていく価値があるのではないでしょうか。
一度で完璧な言葉が見つかる必要はありません。
むしろ、一年に一度、決算のタイミングなどに合わせて、その言葉を見直してみるのもよいのではないかと思います。
会社は日々少しずつ変わっていくものですから、使命の言葉も、最初に決めたきり固定してしまうのではなく、事業の成長とともに、少しずつ磨き直していくくらいの気持ちでいる方が、かえって長く付き合える言葉になるように感じます。

まとめ:使命は、特別な会社だけのものではない
「会社の使命」や「経営理念」というと、大企業や、有名なブランド企業だけが持つ特別なものだと感じてしまうかもしれません。
ですが、実際には、従業員十名前後の会社であっても、いえ、そのくらいの規模だからこそ、経営者ご自身の思いが会社の隅々まで届きやすく、はっきりとした強みになり得るのではないかと思います。
人が集まらないと感じたとき、つい採用の方法や条件面ばかりに目が向きがちです。
ですが、その前に一度、「うちの会社は、何のために、誰のために存在しているのか」を、ご自身の言葉で問い直してみる。
それが、遠回りのようでいて、実は一番の近道なのかもしれません。
ヒマワリが太陽を探すように、人もまた、意味を感じられる場所を自然と探しています。
まずは、その光を、社内の誰よりも先に、経営者ご自身が言葉にして灯してみる。
そこから、少しずつ会社の景色が変わっていくのではないでしょうか。
今日、ほんの数分でも、「うちの会社は何のためにあるのか」と考えてみることから、始めてみませんか。
