経営者が悩んで、決めた「たった一人」のお客様
私は税理士として、これまで多くの中小企業の経営者とお話をしてきました。
その中でよく聞かれるのが、「もっとお客様を増やしたいのに、なかなか広がらない」というお悩みです。
そんなとき、私はいつもひとつの質問をします。「そのお客様とは、具体的にどんな方でしょうか?」。
すると、多くの経営者が「うーん、特に決めていません。誰にでも来ていただきたいので」とおっしゃいます。
実はこの「誰にでも」という考え方こそが、お客様が増えない一番の原因かもしれません。
今日は、なぜ「絞る」ことがお客様を増やすことにつながるのか、そして具体的にどう絞ればよいのかを、一緒に考えてみたいと思います。
「万人向け」は、実は誰の心にも刺さらない
少し想像してみてください。
書店に、二種類の雑誌が並んでいます。一冊は「すべての人のための雑誌」。
もう一冊は「40代の子育て中の女性のための雑誌」です。
あなたが40代で子育て中の女性だったら、どちらを手に取るでしょうか。
おそらく多くの方が、後者を選ぶのではないでしょうか。
なぜなら、後者のほうが「自分のために書かれている」と感じられるからです。
前者の雑誌は、たしかに誰にでも読めます。
しかし、それは裏を返せば「特に誰のためでもない」ということでもあります。
これは商品やサービスを届ける仕事をしている私たちにも、そのまま当てはまる話です。
「うちは誰でも歓迎します」というメッセージは、優しく聞こえます。
しかし、お客様の側から見ると、「自分にぴったりのお店」だとは感じにくいのです。
結果として、広く構えたはずのお店が、逆に誰の記憶にも残らない、という少し悔しい状況が生まれてしまうのです。
「絞る」とは、お客様を減らすことではない
ここで大切な誤解を、ひとつ解いておきたいと思います。
「ターゲットを絞る」と聞くと、「お客様の数を減らしてしまうのではないか」と心配される方が多いのですが、実際はその逆です。
絞るというのは、「この方に、心から満足していただこう」という相手をはっきりさせることです。
相手がはっきりすると、その方に向けたメッセージも、サービスの内容も、驚くほど具体的になります。
そして、具体的なメッセージほど、実は多くの人の心を動かすものなのです。
たとえば、「健康に気を配る方へ」というお店の看板と、「毎朝5時に起きて、子どものお弁当を作ってから出勤する、忙しいお母さんへ」という看板とでは、どちらが心に残るでしょうか。
後者のほうが、対象は狭いはずなのに、なぜか多くの方が「あ、私のことだ」と感じてしまう。
これが、絞ることの不思議な力なのです。
年齢や性別だけでは、お客様の顔は見えてこない
もう一つ、経営者の方によくお伝えしていることがあります。
それは、「30代女性」「50代男性」といった年齢や性別だけで相手を決めても、まだ相手の顔はぼんやりしたままだ、ということです。
同じ「50代女性」であっても、暮らし方はまったく違います。
毎日忙しく働きながら家族を支えている方もいれば、子育てを終えて、自分の時間を大切にし始めた方もいます。
趣味に没頭している方もいれば、健康のことで悩んでいる方もいるでしょう。
そこで役に立つのが、相手の「毎日の様子」を思い浮かべてみることです。
その方は、朝どんな時間に起きて、どんな服を着て、どんな会話をしながら過ごしているのか。
休みの日には何をしているのか。
そこまで想像を広げてみると、はじめて「この人になら、こう伝えれば喜んでもらえそうだ」という道筋が見えてくるのではないでしょうか。
数字で捉えられる年齢や性別のような情報と、暮らしぶりや気持ちといった、数字では表せない情報。
この両方を組み合わせて、少しずつお客様の顔をはっきりさせていく。
これは決して簡単な作業ではありませんが、地道に積み重ねる価値のある作業だと考えられます。
それでも絞るのが怖いと感じるのは、なぜか
ここまでお話しすると、「理屈はわかるけれど、それでも絞るのは怖い」と感じる方もいらっしゃると思います。
実際、私が経営者の方とお話をしていても、この「怖さ」こそが、絞ることを踏みとどまらせている一番の理由だと感じることが多いのです。
その怖さの正体は、おそらく「せっかく来てくれそうなお客様を、自分から遠ざけてしまうのではないか」という不安です。
今まで「誰でも歓迎します」と言ってきたのに、急に対象をはっきりさせてしまったら、これまで来てくれていたお客様が離れてしまうのではないか。
そう考えると、なかなか一歩を踏み出せない気持ちも、よくわかります。
しかし、実際に絞り込みを行った経営者の方々のお話を聞くと、「思っていたほど、お客様は減らなかった」という声が多いのです。
むしろ、メッセージがはっきりしたことで、これまで気づかなかった層のお客様に見つけてもらえるようになった、という声も少なくありません。
ここで大切なのは、絞ることを「一度決めたら、もう変えられないもの」と考えすぎないことです。
まずは小さく試してみて、反応を見ながら少しずつ調整していく。
そのくらい軽い気持ちで始めてみると、心の負担も、ずいぶん軽くなるのではないでしょうか。
絞り方には、いくつもの視点がある
さて、実際に「絞る」場面を考えるとき、多くの方はどうしても年齢や性別といった情報だけで考えてしまいがちです。
しかし、絞り方には、それ以外にもいくつもの視点があります。
ここでは、いくつかの視点を、経営者がどのように悩み、最終的にどう決めたのかという流れとともにご紹介したいと思います。
ご自身の事業に近いものがないか、眺めてみてください。
いつ、どんな場面で使うのかで絞る
駅前にある、小さなパン屋さんの話です。
このパン屋さんのご主人は、絞り込みを考え始めたとき、まず三つの案で迷ったといいます。
ひとつは、学校帰りの子どもたちに向けたおやつパン。
もうひとつは、近くの会社員向けのランチパン。
そしてもうひとつが、通勤前の朝食パンでした。
どれも需要はありそうに思えて、なかなか一つに決めきれなかったそうです。
そこでご主人は、一週間ほど、時間帯ごとのお客様の様子を記録してみました。
すると、朝の時間帯だけ、いつも同じような雰囲気のお客様が多いことに気づきます。
スーツやかばんを持ち、時計をちらちら見ながら、手早く選んで会計を済ませていく方々です。
一方で、昼や放課後の時間帯は、すでに近くの他のお店に流れているお客様も多いことがわかりました。
「ここで無理に競おうとするより、朝のお客様にもっと応えたほうが、うちらしさが出せるのではないか」。
そう考えたご主人は、思い切って「朝、電車に乗る前に立ち寄って、片手で食べられる朝食を探している方」に絞ることを決めました。
焼きたてのパンを、袋を開けたらすぐ食べられる形にして、レジも並ばずに済むよう工夫する。
忙しい朝という「場面」にはっきりと応えることで、その時間帯に立ち寄る方にとって、なくてはならないお店になっていったそうです。
どんな悩みを抱えているのかで絞る
ある小さな工務店の例もご紹介します。
この工務店は、以前は新築からリフォームまで、幅広い工事を請け負っていました。
しかし、地域の人口が減り、新築の依頼は年々少なくなっていきました。
社長は、このままではいけないと感じながらも、「若い世代の新築住宅」「高齢者施設のリフォーム」「実家の空き家をどうするかという相談」など、いくつもの方向性を思いつき、どれに力を入れるべきか、なかなか決められずにいたそうです。
決め手になったのは、これまでの問い合わせの記録を、社長自身が改めて読み返したことでした。
すると、「実家を離れて暮らしているが、古くなった親の家をどうすればよいかわからない」という相談が、思っていたよりも多く寄せられていたことに気づきます。
新築の依頼は減っていても、この種の悩みは、むしろ増えているように見えたのです。
社長は、「新しい家を建てたいという方より、今ある家をどうするか困っている方に、うちの経験を活かせるのではないか」と考え、そうした方に向けて発信を続けることを決めました。
年齢や性別ではなく、「抱えている悩み」を起点に考えたことで、思いがけない層とつながることができたのだと思います。
どんな職業・業種の方かで絞る
印刷やデザインを手がける会社の例も、参考になります。
この会社の社長は、絞り込みを検討したとき、当初は美容室、士業の事務所、飲食店という三つの業種を候補にしていました。
どの業種も付き合いがあり、それぞれに思い入れもあったため、一つに絞ることには、正直かなり迷いがあったそうです。
社長は、それぞれの業種のお客様との過去のやり取りを振り返り、「どの業種の相談に、自分たちが一番深く応えられていたか」を考えてみました。
すると、飲食店のお客様からの相談には、メニュー表やポスターだけでなく、季節ごとの販促や、値上げの伝え方といった、経営そのものに関わる話まで自然と広がっていたことに気づきます。
他の業種では、そこまでの関わりには至っていませんでした。
「一番深く力になれているのは、飲食店の方々なのではないか」。
そう感じた社長は、「地域で個人経営をしている飲食店」に対象を絞ることを決めました。
メニュー表や店頭ポスターの制作を専門にすると決めたところ、同業の飲食店経営者どうしの口コミで、次々と依頼が増えていったといいます。
特定の業種の事情や悩みに詳しくなることで、「この会社なら、うちのことをよくわかってくれる」と感じてもらえるようになったのでしょう。
どんな価値観を大切にしているかで絞る
最後に、価値観という視点もご紹介します。
ある洋服店の店主は、絞り込みを考え始めたころ、「エコにこだわる方」「ナチュラルな暮らしを好む方」「持ち物を最小限にしたい方」など、いくつかの価値観を候補に挙げていました。
どれも今どきの言葉としてよく聞くものでしたが、どれも少しぼんやりしていて、自分の店とうまく結びつかない感覚があったそうです。
店主は、これまで長く通ってくれているお客様との会話を、あらためて思い出してみました。
すると、多くの方が口にしていたのは、「肌が弱いので、化学繊維はどうしても苦手」「子どもにはできるだけ自然な素材の服を着せたい」という、素材そのものへのこだわりでした。
エコやナチュラルという大きな言葉より、もっと具体的な「素材への思い」が、お客様との共通点になっていたのです。
そこで店主は、「なるべく体に優しい、天然素材の衣類を選びたい」という価値観を持つ方に向けて、店づくりを見直すことを決めました。素材にこだわった理由を丁寧に説明し、価格が少し高くなる背景も正直に伝えるようにしたところ、価格だけで比較されることが減り、その価値観に共感してくれるお客様が、少しずつ増えていったそうです。
このように、絞り方は年齢や性別だけにとどまりません。
「いつ、どんな場面で」「どんな悩みを抱えて」「どんな職業で」「どんな価値観を持って」という、さまざまな切り口があります。
そして、どの経営者も、最初から迷いなく一つに決められたわけではありません。
いくつかの候補の間で行き来しながら、これまでのお客様との関わりを振り返り、そこに共通するものを見つけたことで、ようやく一つの方向が見えてきたのです。
まずはご自身の事業に合いそうな切り口を一つ選んで、その先にいる方の顔を思い描いてみることから始めてみるのも一つではないでしょうか。
ある美容室の話
ここで、一つの例をご紹介したいと思います。
ある地方都市で、美容室を営むご夫婦がいました。
開業当初は「近所の方なら、どなたでも歓迎します」という方針で営業をしていましたが、思うようにお客様が定着せず、悩んでいたそうです。
そこで、ご夫婦は改めて「一番来ていただきたいお客様」について話し合いました。
話し合いの末に見えてきたのは、「小さな子どもがいて、自分の時間がなかなか取れない30代のお母さん」という姿でした。
そのお母さんは、平日の日中は仕事や家事に追われ、髪を整える時間もなかなか取れません。
ようやく取れた短い時間で、できるだけ疲れた印象を持たれないようにしたい、と考えているのではないか。
ご夫婦は、そんな一日の様子を具体的に思い描きました。
そこから、お店の案内には「お子様と一緒でも安心」という言葉を加え、施術の時間も短く仕上げられるコースを新たに用意しました。
待ち時間には、お子様が絵本を読めるコーナーも設けました。
すると、しばらくして、口コミで同じような境遇のお母さん方が、少しずつお店を訪れるようになったといいます。
もちろん、これによって来店できないお客様も出てきます。
実際、開業当初から通っていた独身の男性客からは、少し足が遠のいてしまったそうです。
ご夫婦も、最初はそのことを気にかけていたといいます。
しかし、しばらく経ってみると、「以前よりお客様の数が減った実感はなく、むしろ、来てくださる方との会話が深まり、長く通っていただけるようになった」と話していたそうです。
お子様の成長を一緒に喜んだり、次の来店の予定を自然と相談し合ったりするような関係が、いくつも生まれていったのです。
ご主人は、「お客様の数を追いかけていた頃より、今のほうが、仕事をしていて楽しいと感じます」と振り返っていました。
まずは目の前にいる誰か一人を、はっきりと思い描いてみる。
それだけで、伝え方も、サービスの形も、そして経営者自身の気持ちまで、自然と変わっていくのだと感じさせられる話です。
どこから始めればよいのか
「絞る」という考え方に納得しても、実際にどこから手をつければよいか迷う方も多いと思います。
そんなときは、まず、最近来てくださったお客様の中で、「またぜひ来てほしい」と感じた方を一人思い出してみることから始めてみるのも一つです。
その方は、どんな一日を送っていて、どんな理由でお店やサービスを選んでくれたのか。
どんな会話をして、何に喜んでくれたのか。
想像で構いませんので、少し具体的に思い描いてみてください。
もし可能であれば、実際にその方に「なぜ選んでくれたのか」を尋ねてみるのも、大きなヒントになるはずです。
そして、「その方にもう一度来ていただくために、何を伝えればよいか」「その方と同じような境遇の方に、どんな言葉なら届くか」を考えてみる。
この小さな作業の積み重ねが、やがて事業全体の方向性を定めていくのではないでしょうか。
最初から完璧な答えを出す必要はありません。
少しずつ思い描く相手の輪郭をはっきりさせていく、その過程そのものに意味があるのだと思います。

まとめ
「誰にでも」という考え方は、優しさから生まれるものです。
しかし、その優しさが、結果としてお客様の心に届きにくい原因になってしまうことがあります。
大切なのは、まず一人の顔を思い描くことです。
その方がどんな暮らしをしていて、どんなことに悩み、どんな言葉なら心に残るのか。
そこまで想像を広げていく作業は、決して派手な仕事ではありませんが、地道に続けていく価値のあるものだと考えられます。
絞ることは、可能性を狭めることではなく、届く力を強くすることです。
ぜひ、目の前のお客様のお一人を思い浮かべながら、今日からできる小さな一歩を探してみてはいかがでしょうか。
長年、さまざまな会社の経営者の方とお話をしてきて感じるのは、うまくいっている会社ほど、実は「誰のために」がはっきりしているということです。
それは、最初から狭く始めたわけではなく、日々のお客様との関わりの中で、少しずつ輪郭がはっきりしていった結果なのだと思います。
焦らず、今できることから、少しずつ相手の顔を思い描いていく。
その積み重ねが、きっと会社を支える土台になっていくのではないでしょうか。
