中身は同じでも、伝え方ひとつで印象は大きく変わる
先日、商店街を歩いていたときに、小さなクリーニング店の看板に目が留まりました。
そこに書かれていたのは、「シミ抜き承ります」ではなく、「思い出、キレイに残します」という言葉でした。
もし「シミ抜き承ります」だけだったら、それでも十分に分かりやすい、正確な言葉だったのではないかと思います。
けれど、この看板を作った人は、もう一歩先まで考えたのではないでしょうか。
「シミ抜き承ります」という言葉が伝えるのは、サービスの内容です。
一方で「思い出、キレイに残します」という言葉が伝えているのは、そのサービスを使ったときに、どんな気持ちになれるか、という体験の中身です。
大切な服についた汚れを取るだけでなく、その服にまつわる思い出まで、一緒に大事にしてもらえる。
そんなあたたかさが、名前だけでふわっと伝わってきます。
私は思わず、「今度、子どもの発表会で着た服を、ここに持っていこう」と感じました。
これはまさに、「名前」が人の気持ちを動かした瞬間だったのではないでしょうか。
たった数文字の違いなのに、受け取る側の気持ちがこれほど変わる。
これは、看板の言葉だけの話ではなく、私たちの仕事にも、そのまま当てはまることのように思います。
名前や言葉には、思っている以上の力がある
この看板の話は、単なる「良いキャッチコピーの例」として終わらせてしまうのは、少しもったいないように思います。
ここには、経営にも通じる大切なヒントが隠れているのではないでしょうか。
私たちは、商品やサービスを説明するとき、つい「機能」や「内容」を正確に伝えようとします。
たとえば「クリーニングいたします」「修理を承ります」「相談を受け付けます」といった具合です。
もちろん、正確さは大切です。
しかし、それだけでは、お客様の心はなかなか動きません。
なぜかというと、お客様が本当に知りたいのは、「それを利用したら、自分はどんな気持ちになれるのか」という部分だからです。
名前や言葉は、その気持ちを先に届けてくれる、いわば「案内板」のような役割を持っています。
案内板に「こちらは倉庫です」と書かれているのと、「ここに入れば、探し物がすぐ見つかります」と書かれているのとでは、足を踏み入れたくなる度合いがまったく違うはずです。
言い方を変えると、同じ中身の料理でも、無造作にお皿に盛られているのと、少し丁寧に盛り付けられているのとでは、口に入れる前の期待感がまったく違う、というのと似ているかもしれません。
中身を変えなくても、見せ方や伝え方を少し工夫するだけで、受け取る側の気持ちは大きく変わるのではないでしょうか。
なぜ、経営者は「言葉」を後回しにしてしまうのか
とはいえ、日々の業務に追われている経営者の方にとって、「名前」や「言葉」にじっくり向き合う時間は、なかなか取りにくいものです。
「良い商品を作っているのだから、それでいいはずだ」
「うちは中身で勝負しているから、言葉遊びは必要ない」
そう感じる方も少なくないのではないでしょうか。
実際、筆者も長年、中小企業の経営者の方々とお話をしてきましたが、多くの方が「言葉の力」を軽視しているわけではなく、むしろ「そこまで手が回らない」というのが実情のように感じます。
日々の資金繰りや、人材の確保、目の前の仕事をこなすことで、一日が終わってしまう。
そんな中で、「自社の名前の付け方」や「サービスの伝え方」を見直す時間を作るのは、優先順位としてどうしても後ろになってしまうのではないでしょうか。
また、もう一つ、経営者の判断が止まりやすい理由があるように思います。
それは、「今のやり方を変えることへの不安」です。
長年使ってきた看板の言葉や、当たり前になっているサービス名を変えるのは、なんとなく落ち着かない気持ちになるものです。
「今のお客様が離れてしまわないだろうか」「急に変えたら、軽い印象を持たれないだろうか」。
そうした心配が、一歩を踏み出す前にブレーキをかけてしまうのではないでしょうか。
しかし、ここで少し立ち止まって考えていただきたいのです。
名前や言葉は、一度見直すだけで、その後何年にもわたってお客様の気持ちを動かし続けてくれる、いわば「働き続けてくれる資産」のようなものだと考えられます。
看板を作り直す費用や、大きな仕組みを変える必要はありません。
まずは、言葉そのものを見直すことから始めても、十分に意味があると考えられます。
ある町工場の「修理」が「町のお医者さん」に変わった話
ここで、一つの例をご紹介したいと思います。
浜松のある町に、小さな金属加工の工場がありました。
従業員は8人ほど。
長年、近隣の工場から機械の部品修理を請け負ってきました。
しかし、あるとき、社長さんはふと気づきました。
同業の工場が増え、値段だけで比較されることが増えてきたのです。
「修理を承ります」という看板は、そのままでは他社とほとんど同じに見えてしまう。
そこで社長さんは、自社が実際に何をしているのかを、あらためて振り返ってみました。
すると気づいたのは、ただ部品を直しているだけではなく、「まだ動くはずの機械を、もう一度元気にしている」ということでした。
壊れて困っている機械の相談を受け、状態を診て、直して、また現場に戻していく。
これはまさに、機械にとっての「お医者さん」のような仕事だったのです。
社長さんは、この気づきをすぐに形にしようとしたわけではありませんでした。
「今さら言葉を変えても、意味があるのだろうか」という迷いもあったそうです。
けれど、常連のお客様に何気なく「うちは、機械の町医者みたいなものですね」と話したところ、「それ、すごく分かりやすい」と喜ばれたことが、最初のきっかけになったといいます。
そこで、社長さんは看板とチラシの言葉を、「修理工場」から「機械の町医者」という表現に変えてみました。
もちろん、やっている仕事の内容は変わっていません。
しかし、この言葉に変えてからは、「うちの機械、ちょっと元気がないんだけど、診てもらえますか」というような、以前とは違う雰囲気の相談が増えたそうです。
値段の比較ではなく、「頼れる存在」として選ばれるようになった。
これは、名前や言葉を見直したことによる、小さくも確かな変化だったのではないでしょうか。
この工場の話には、もう一つ大切なポイントがあるように思います。
それは、社長さんが「新しいことを始めた」わけではなく、「もともとやっていたことに、初めて名前をつけた」という点です。
特別な設備を導入したわけでも、新しいサービスを開発したわけでもありません。
すでにお客様に提供していた価値に、あらためて気づき、それにふさわしい言葉を与えただけなのです。
これは、多くの中小企業にとって、比較的取り組みやすいことなのではないでしょうか。
難しいことをしなくても、まずは「振り返る」ことから
ここまでお話しすると、「うちも何か特別な言葉を考えなければ」と、身構えてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そんなに難しく考える必要はないと思います。
まずは、自社の商品やサービスについて、「お客様は、これを利用した後、どんな気持ちになっているだろうか」と考えてみることから始めてみるのも一つです。
たとえば、飲食店であれば、「ランチを提供する」というだけでなく、「忙しい午後を乗り切る力をチャージする」という視点で考えてみる。
美容室であれば、「髪を切る」だけでなく、「明日、少し自分に自信が持てるようになる」という視点で考えてみる。
士業のような相談業であれば、「相談を受け付ける」だけでなく、「一人で抱えていた不安を、一緒に整理する」という視点で考えてみる。
こうした視点で見直すと、今まで当たり前に使っていた看板やメニュー名、案内文の言葉が、少し違って見えてくるのではないでしょうか。
進め方としては、いきなり全部を変えようとせず、まず一つだけ選んでみるのがよいのではないかと思います。
たとえば、一番よく使う案内文だけ、あるいは、一番人気のある商品名だけ。
そこから試してみて、お客様の反応を見ながら少しずつ広げていく。そのくらいの小さな一歩でも、十分に意味があると考えられます。
また、一人で考え込まずに、身近な従業員やお客様に感想を聞いてみるのも良い方法ではないでしょうか。
社長さんが自然に口にした「機械の町医者」という言葉のように、案外、自分たちが普段何気なく使っている言葉の中に、大きなヒントが隠れていることも多いように思います。
もし、言葉を変えることに不安を感じるようであれば、いきなり看板やホームページを変えるのではなく、まずは会話の中で試してみるのも一つの方法ではないでしょうか。
お客様と話すときに、新しい言い方をさらりと使ってみる。
反応が良ければ、少しずつ資料やチラシにも取り入れていく。
そうした段階を踏むことで、無理なく、自然な形で言葉を育てていくことができるように思います。

まとめ 〜言葉は、経営者の想いを届ける乗り物〜
商店街のクリーニング店の看板から始まったこの話ですが、あらためて振り返ると、「名前」や「言葉」は、単なる飾りではないということが分かります。
それは、経営者が積み重ねてきた想いや工夫を、お客様のもとまで届けてくれる、大切な乗り物のようなものだと考えられます。
どんなに良い商品やサービスを持っていても、その良さがお客様に伝わらなければ、もったいないことです。
逆に言えば、今すでにある商品やサービスの中に、まだ言葉にできていない魅力が眠っているのかもしれません。
大きな投資も、大がかりな仕組みの変更も必要ありません。
まずは、身近なところから、ご自身の商品やサービスを見つめ直してみてはいかがでしょうか。
きっと、そこには、まだ言葉にしていない「思い出」のような何かが、静かに眠っているのではないでしょうか。
