立派な目標より、近くにいる誰かのために人は頑張れる
多くの経営者は、社員に「もっと本気で仕事に向き合ってほしい」と願っているのではないでしょうか。
そのために、社是や経営理念をつくり、朝礼で読み上げたり、壁に貼り出したりしている会社も少なくありません。
しかし、立派な言葉を掲げても、社員の表情や動き方が目に見えて変わることは、実はそれほど多くないものです。
むしろ、社長が理念を語れば語るほど、社員との間に見えない壁ができてしまうように感じることさえあるかもしれません。
正直なところ、理念をつくった社長自身も、「これで本当に社員の心に届いているのだろうか」と、どこか半信半疑のまま語り続けていることが少なくないのではないでしょうか。
社員の前では自信ありげに振る舞っていても、家に帰ってから、あるいは一人で運転している車の中で、ふと「このままで良いのだろうか」と考え込んでしまう。
誰かに相談できるわけでもなく、社長ひとりで抱え続けるその迷いこそが、日々のモヤモヤの正体だったりします。
今回は「人はどんな時に本気で力を出し切るのか」という問いから、こうした経営者の迷いと、現場で実際に起きていることを、あわせて整理していきたいと思います。
大きな答えを一度に出そうとせず、まずは小さな気づきを一つずつ拾い集めていく。
そんなつもりで、読んでいただければと思います。
大きな目標だけでは、人はなかなか動かない
立派な理念や、遠くにある大きな目標は、たしかに人を奮い立たせる力を持っています。
「業界で一番を目指そう」「10年後にこんな会社になろう」という言葉に、心を動かされたことがある方も多いはずです。
ただ、そうした遠い目標だけで、人は毎日必死に頑張り続けられるものでしょうか。
たとえるなら、フルマラソンの42キロ先にあるゴールは、たしかに走り出すきっかけにはなります。
けれども、足が止まりそうになる30キロ地点で私たちを前に押し出してくれるのは、遠いゴールそのものよりも、沿道で声をかけてくれる人や、隣を並走してくれる仲間の存在ではないでしょうか。
経営も、これと似たところがあるように思います。
私たちが本当に力を出し切るのは、遠い目標のためというより、もっと近くにいる誰かのためであることが多いのです。
一緒に働く仲間を困らせたくない、頼ってくれている人をがっかりさせたくない。
そうした、ごく身近な気持ちのほうが、日々の踏ん張りを支えているのではないでしょうか。
これは、心理学でいう「外から与えられるやる気」と「自分の内側から湧いてくるやる気」の違いに近いのかもしれません。
給料や評価といった外からのやる気も大切ですが、それだけでは長続きしにくいものです。
一方、「あの人の役に立てた」という実感から湧いてくるやる気は、誰かに強制されなくても、自然と続いていきます。
朝礼で目標を聞いたときは大きくうなずいていた社員が、現場に戻った途端、いつもと変わらない動き方に戻ってしまう。
そんな光景に、心当たりのある経営者も多いのではないでしょうか。
これは社員のやる気が足りないのではなく、遠い目標と、目の前の仕事とが、まだうまくつながっていないだけなのかもしれません。
言い換えると、社員が本気になるかどうかは、理念の立派さよりも、「自分がここでどれだけ誰かの役に立っているか」を実感できているかどうかに、大きく左右されるのではないかと考えられます。
従業員10名前後の会社を経営されている方であれば、社員のためにと始めたはずの事業なのに、気づけば自分ひとりが踏ん張っている感覚になったことが、一度はあるのではないでしょうか。
経営の世界にあふれているのに、驚くほど足りないもの
世の中には「成功」の話があふれています。
売上を伸ばした話、規模を大きくした話、表彰を受けた話。
もちろん、そうした成功は励みになりますし、目指す価値のあるものです。
けれども、成功していても「働く意味」をあまり感じられない、という声を、経営者からも社員からもよく耳にします。
数字の上では順調なのに、なぜか職場に活気がない。
そんな状態が続くと、働くこと自体がただの我慢の連続になってしまい、社長も社員も次第に心がすり減っていってしまいます。
専門的には「燃え尽き」と呼ばれる状態ですが、要するに、頑張っているのに満たされない、という状態です。
実際、決算の数字だけを見れば申し分ないのに、社長の表情がどこか晴れない、という場面に出会うことがあります。
話を伺うと、「数字は良いのですが、社員が何を考えているのか、正直よく分からないのです」と打ち明けられることも少なくありません。
数字の順調さと、現場の手応えは、必ずしも一致しないのです。
立派な看板を掲げることと、店の奥で温かい灯りがともっていることは、別の話です。
本当に会社を強くするのは、売上の大きさだけではなく、「ここで働いていてよかった」と感じられる、ささやかな手応えの積み重ねなのではないでしょうか。
小さな配送会社の社長が気づいたこと
ここで、ひとつの架空の物語をご紹介します。
ある地方都市で、小さな配送会社を営む斉藤さん(仮名、40代)の話です。
斉藤さんの会社は、ドライバーと事務スタッフを合わせて9名という、小規模ながら地域に根ざした会社でした。
数年前、斉藤さんは「地域で一番信頼される配送会社になろう」という目標を掲げ、朝礼のたびに社員に語りかけていました。
しかし、言葉とは裏腹に、現場の空気はどこか冷めていました。
荷物の積み残しが起きても、「自分の担当分は終わったので」と、手伝おうとしないドライバーもいたそうです。
斉藤さんは内心、「掲げ方が悪いのだろうか、伝え方を変えればいいのだろうか」と、一人で迷い続けていました。
目標をより分かりやすい言葉に直してみたり、達成度をグラフにして貼り出してみたりもしましたが、現場の空気はほとんど変わらなかったといいます。
実は、この頃の斉藤さんの会社は、売上そのものは決して悪くありませんでした。
ただ、毎年2名ほどのドライバーが入れ替わっており、その多くは「もっと条件のいい会社に」ではなく、「なんとなく居心地が悪くて」という、はっきりしない理由での退職でした。
斉藤さんは、その理由をうまく言葉にできないまま、採用と教育を繰り返す日々を送っていたのです。
転機になったのは、ある雨の日の出来事でした。
ベテランドライバーの一人が、体調を崩した若手ドライバーの配達エリアを、何も言わずに引き受けていたのです。
理由を尋ねると、その人はこう答えました。
「あいつ、今日は無理して出てきてたから。誰かが助けないと、次はもっとひどいことになる気がして」。
斉藤さんは、この小さな出来事に強く心を動かされました。
社員を動かしていたのは、社長が掲げた立派な目標ではなく、「困っている仲間を放っておけない」という、ごく自然な気持ちだったのです。
そこで斉藤さんは、朝礼で目標を語ることをやめ、代わりに「今日、誰がどんな荷物を担当していて、どこで困りそうか」を、みんなで確認する時間に変えました。
すると少しずつ、「あそこは自分がついでに寄れる」「その現場、前にやったことあるから代わろうか」といった声が、自然に出るようになっていったそうです。
お客様から「最近、対応が早くて助かる」と言われることも増え、半年ほど経つころには、積み残しはほとんどなくなり、若手ドライバーの離職も落ち着いていったといいます。
斉藤さん自身も、「目標を語ることより、困っている人に気づくことのほうが、よほど会社を強くするのだと分かりました」と振り返っています。
数字だけでは見えてこない、もうひとつの経営指標
私は税理士として、長年、さまざまな会社の決算書を拝見してきました。
その中で感じるのは、利益率や人件費率といった数字が同じように見えても、実際に会社を訪ねたときの空気は、会社によってまったく違う、ということです。
数字の上では何の問題もないのに、社員同士の会話が驚くほど少ない会社もあれば、決算の数字は厳しいのに、事務所に笑い声が絶えない会社もあります。
そして、社員が互いに助け合っているかどうかは、決算書のどの科目を見ても、直接には表れてきません。
ただ、間接的に表れる数字はあります。
たとえば採用にかかる費用です。
求人広告費や紹介会社への手数料、新しい人を育てる時間のコストは、社員がすぐに辞めてしまう会社ほど、静かに膨らんでいきます。
決算書の上では「採用費」という、ごく小さな一行にしか見えませんが、その裏側には、社員同士が支え合えていない現場の疲れが隠れていることが少なくありません。
有給休暇の消化率も、同じような意味を持つ数字です。
休みを取りづらい職場では、誰かが休んだ分を周りがどう埋めるか、という頼り合いの仕組みそのものが、うまく機能していないことが多いのです。
離職率や残業時間といった数字は、もちろん大切な手がかりです。
けれども、それだけを見て「うちの会社は大丈夫」と判断してしまうのは、少し危ういのではないかと感じています。
数字の奥にある、社員同士の頼り合いにこそ、会社の本当の体力が表れているように思うのです。
頼り合う文化は、小さな習慣から生まれる
では、こうした「頼り合う文化」は、どうすれば育てていけるのでしょうか。
大がかりな制度を新しくつくる必要はありません。
まずは、小さな習慣から始めてみるのも一つです。
たとえば、朝礼や日々の声かけの中で、目標や数字の話だけでなく、「今日、誰が困りそうか」「誰の手が足りなくなりそうか」を、さりげなく話題にしてみることが考えられます。
困っている人がいることに、周りが気づける仕組みを、少しずつ整えていくということです。
また、誰かが誰かを助けた場面を見かけたときには、社長自身がその場で言葉にして伝えることも効果的ではないでしょうか。
「さっき手伝ってくれて助かったね」というひと言があるだけで、助け合いは特別なことではなく、普段の当たり前として、社内に根づいていきます。
ただし、感謝の言葉は、無理に制度化しすぎると、かえって形だけのものになってしまうこともあります。
あくまで、社長自身の実感のこもった言葉として伝えることが、大切なのではないでしょうか。
さらに、仕事の割り振り方を、一人ひとりに完全に切り分けるのではなく、あえて重なりを持たせておくことも一つの方法です。
担当が重なっていれば、誰かが困ったときに、自然と助け舟を出しやすくなります。
すべての仕事をきっちり分担しすぎると、一見効率はよく見えても、実は誰も他人の仕事に関心を持たない職場になってしまうことがあるのです。
週の終わりなどに、「今週、誰かに助けてもらったこと」を、ほんの一言でいいので共有する時間を設けている会社もあります。
特別なことを話す必要はありません。
ちょっとした一言を積み重ねるだけで、助け合いが「見えるもの」として、社内で共有されていきます。
加えて、月に一度でもよいので、社員一人ひとりと短い時間だけ、ゆっくり話す機会を持つことも助けになります。
業務の進み具合だけでなく、「最近、誰かに助けてもらったことはあるか」「逆に、誰かを助けたことはあるか」を尋ねてみると、社長自身が気づいていなかった、現場の頼り合いの様子が見えてくることもあります。

まとめ:まずは、目の前の一人を思い浮かべることから
理念や目標を掲げることは、決して無駄ではありません。
ただ、それだけで社員の本気を引き出そうとすると、思うようにいかないことが多いのも事実です。
人は、遠くにある立派な目標よりも、近くにいる誰かのために、案外がんばれるものです。
そしてその積み重ねが、単なる「成功」を超えた、働く意味そのものになっていくのではないでしょうか。
もし今、社員の本気度に物足りなさを感じているようでしたら、大きな理念を見直す前に、まずは目の前にいる一人の社員を思い浮かべてみることから、始めてみてはいかがでしょうか。
その人が今、何に困っていて、誰に助けられたら安心できるか。
そこに、次の一手のヒントが隠れているように思います。
理念は、遠くから会社を照らす灯台のようなものだとすれば、日々の頼り合いは、足元を照らす小さな明かりです。
その両方が灯って初めて、会社は安心して前に進んでいけるのではないでしょうか。
社長おひとりで抱え込まず、まずは小さな一歩から、始めてみていただければと思います。

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